社会福祉法人共生福祉会 福島美術館

福島美術館の歴史

福島美術館の創設とその後の歩み 東日本大震災と復興

(社会福祉法人 共生福祉会40周年記念誌より転載)

福島美術館の創設とその後の歩み
宮城県文化財審議委員、文化史家
濱田直嗣 (前仙台市博物館長)

■福島禎蔵翁をめぐる美術品と美術館建設

時には冷徹な判断と行動を求められる実業家の、仙台を代表する一人として青年期、壮年期をおくった福島禎蔵翁が、こころを開き眼を和ませる対象にしていたものに、美術鑑賞と収集がありました。

良く知られるように、福島家では翁の祖父で近代仙台の画家・佐久間晴嶽、得楼たちと親しかった運蔵翁と、これを継いだ父・與惣五郎翁の代から美術への関心は高く、作品を入手する機会も多かったようです。そのコレクションを基礎に、禎蔵翁を取り巻く美術の世界が、次第に輪を広げていったことになります。

コレクションを量・質共に充実させた原因には、主に次の2つがあるものと、私は考えています。

一つ目は仙台藩主だった伊達家との交流です。62万石の大大名を誇った仙台伊達家も、明治維新後の社会の推移にあって、伯爵家を確保してはいたものの次第に勢力を薄めていき、特に昭和20年の敗戦以降には、爵位・華族籍を失い、衰微を余儀なくしてしまいます。尾張徳川家や加賀前田家などでは旧家臣や関係者による、しっかりしたバックアプ体制が確保されていたのですが、仙台の場合は充分とは云えず、大正時代以来、所蔵する文化財を手放さざるを得ない状況を呈していました。

そこに援助の手を差し伸べた一人が禎蔵翁であり、その交流を通じて伊達家所蔵文化財の一部が、福島家に納まることになりました。昭和27年に伊達家では保有している文化財を仙台市へ寄贈の運びとなりますが、これ以前に移譲したのが福島コレクション中の伊達家旧蔵品です。後にこの移動をめぐって“福島家が不当に安く譲り受けたのではないか”という訴訟がおこなわれ、裁判所の依頼で専門家が鑑定を実行した結果、“不当に高く買ったとした方が妥当”という結論になった、と伝えられています。評価額より高い価格で譲り受けたところに、福島家の伊達家存続に対する思い入れの深さが察知されるエピソードと云えます。

こうして流失を免れて仙台にとどまることになった文化財については、伊達家の所蔵品を明治時代に調べた「伊達家観瀾閣宝物目録」に掲載されているものも少なくなく、由緒の正しさを証明してくれます。

二つ目は、仙台市内の美術愛好家の集まりである「是心会」への参加です。仙台を代表する財界・文化界の人々が、それぞれが所蔵する美術品(主に古美術)を持ち寄って、観賞し評価する中で美術文化の醸成を図った本会は、敗戦をはさんだ昭和7〜8年と26〜38年の2期にわたって開催されました。土井晩翠氏や木下杢太郎氏も加わった戦前の会には與惣五郎翁、三原良吉氏や亀田兵治氏らを会員にした戦後は禎蔵翁が毎回参加して、所蔵の品を披露しています。そして、東北大学で美学とドイツ語の教鞭をとられていた佐藤明先生もそこに同席しているのです。

単に所蔵するだけにはとどまらないで、公開へと進んだ福島家のコレクションをめぐる人と文化財の輪を、ここに認めることができます。その後の福島美術館設立に向けては、佐藤明先生と禎蔵翁との厚い友情が、重要な意味を持って基盤の役割を果たします。

■佐藤明東北大学教授の立場

・福島コレクションの調査
・美術館建設にむけて

多くの賛同者とともに共生福祉会を設立して先駆的な福祉活動を続け、これを軌道にのせた禎蔵翁は、昭和49年に上記の「福島家コレクション」を同会に寄贈しました。個人コレクションを市民特に福祉施設を利用する仲間に公開するための決意と思われ、私有地を提供して建てる「ライフセンター」の中に、展示・収蔵・調査を目的とする美術館を設ける構想へと発展していきます。

この動きにあわせてコレクション群の体系的な調査にあたられたのが、佐藤明教授でした。前に記した禎蔵翁との交誼が先生を動かし、献身的な調査が続いたのです。佐藤先生はその以前に、恩師であり福島家の3軒ほど先に住まわれていた阿部次郎先生のコレクションを調査・整理した経験をお持ちでした。「三太郎の日記」の著者として高名な阿部先生は、東北帝国大学で美学を教えられ、日本・中国の古美術品を中心にした多数のコレクションは、教官のほか美学や哲学・文学を学ぶ学生へも鑑賞の機会が提供され、その愛弟子のひとりだった佐藤明先生が、調査整理をして目録作成を具体化させています。仙台市名誉市民に推戴された阿部先生でしたので、ご逝去の後、当コレクションは仙台市へ寄贈され、これも設立に佐藤明先生が重要な役割を担われた、仙台市博物館の所蔵するところとなりました。伊達家旧蔵の文化財を所蔵し、佐藤明先生の支援を受けたという共通の境遇から、仙台市博物館と福島美術館は、長い間姉妹館のような提携が続いて現在に至っています。

■美術館活動の理念

・コレクションの管理・保存
・集まった人材
・開かれた美術館としての活動

共生福祉会福島美術館は、一般市民はもとより、福祉施設を担い共に行動する人々にこそ大いに活用してもらいたいという理念の下、こころの豊かさや美しいものへの感動を共有できる美術館をめざして、昭和55年に開館しました。開館時には残念ながら福島禎蔵翁は逝去されて、完成した美術館を目の当たりにすることはありませんでした。しかしながら翁の信念を熟知する佐藤先生と当時のスタッフが遺志を確実に受け継いだのです。

福祉団体が運営する美術館は、全国でも少ない貴重な存在ですし、その性格に応じた工夫も佐藤先生を中心にしたスタッフの努力で、展示や解説に活かされることになりました。決して広くはなく贅沢ではないものの、親切で心温かい美術館がここに歩み出したのです。

福島美術館に安住の場所を得た福島コレクションの構成内容は、近世・近代の絵画と書跡、工芸、彫刻、歴史史料と、多岐にわたります。コレクションの場合は、その質の良し悪しが問題になるのですが、62万石大名の伊達家の遺品を核にして3代に渡る福島家の審美眼を経た福島美術館のコレクションは、どこにもひけを取らないものと云えるでしょう。

佐藤明先生がしばらくの間顧問となられて職員を指導された結果は、調査や保存についての分野でも、専門性を充分に発揮する活動となっています。美術館の専門職員は学芸員とよばれ、資格認定者が従事しますが、当館では佐藤先生の教え子でもある尾暮学芸員を軸に、数年前までは東北大学の美術史研究室から大学院生が嘱託として加わり、質の高く内容豊富な活動を実践してきました。現在では尾暮学芸員が一人でがんばる状況ですが、ここに来るまで積み重ねられた成果は、優れた基盤になっています。

東北大学の美術史といえば、美術館設立の過程で、当時教授でおられた日本美術史の第一人者であられる辻惟雄先生にも、コレクションの調査と評価をお願いして力添えをいただいています。

このような経緯で先生の研究室から大学院生が学芸員として参加してくれたのですが、これらの人々は今では国立博物館や著名な公私立博物館の学芸員・研究者となって重責を担っています。ある意味では福島美術館で基礎作りをして大きくはばいたことになり、人的なネットワーク作りにも寄与しているのです。これらの人たちの紹介で、福島美術館とコレクションの存在は、全国規模で認知されていきました。

豊富な内容を活用して毎年開催されているのが、企画展です。各時代各ジャンルの美術テーマ、伊達家と仙台藩にちなむ文化の動向などから選び出して独自の展覧会をさせてきましたが、館の性格に良くマッチした企画は、多くの来館者から親しみを持って迎えられ、仙台・東北における当館の位置を確かなものにしました。大規模ではなく、また費用も乏しい中で、熱意と誠意をよりどころに進んだこれまででしたが、来館者や福祉関係者と同じ目線であろうとした意図は、広く深く浸透したものと考えています。

■今後の課題

この10年ほど、不況に伴なう社会全体の低迷によって、福祉界や美術館博物館界もまた厳しい状況に陥っています。福島美術館もまた例外とは云えないでしょう。

しかしながら、このような時期にこそ、美術館のようなこころを和ませ明日への活力を生み出してくれる空間が必要なのです。美しい画面に溶け込むも良し、先人の辛苦の跡をたどるのも良し。美術館が来館者に提供すべきものは、それぞれが求める平穏の季節を実現させるための、精神の柔軟さを養い、希望を確信しつづける要素にほかなりません。 例えば、300年前に制作された牡丹の花の絵を展示した場合には、画家の優れた腕前を堪能していただくと同時に、花弁の淡いピンク色がこの長い時間を褪せないで今日まで生きつづけている点に、したたかな生命力を感じてもらう、ということなのです。 館の内部運営に関して云えば、たとえ全盛時には及ばないとしても、やはりしたたかで将来をはっきり見据えた姿勢を保つことが肝要でしょう。これまで利用者の側に立った視線を大切にすることで高い評価を得てきた、恒例の企画展を続行し、その一方で、一度立ち止まって思考する時、今後の館に欠かせない調査・研究を実施する時期が今だと認識して、この基本的な作業を行う必要があるでしょう。

不思議なもので、美術館・博物館のコレクションは、1度姿を隠したり縮小されとしても、求められる時が来ると必ず甦ります。作品や史料たちが体験してきた時代の流れは、私たちの経験よりはるかに長く大きいため、何時かは必ず起きる変動や困難を克服するエネルギーとして、意外に強靭に育まれているのです。ですから、これを母体に活動を展開する美術館も、再生や次代の向上を信じて、不断の歩みを続かなければなりません。

福祉と文化は表裏一体の間柄であると、私は思っています。福祉を支える文化と文化を裏打ちする福祉は、共にあってこそ1人前なのです。

共生福祉会創立40年を迎えた本年、福島美術館の歩みの一端を記して、本会が育て上げた美術館をめぐるかけがえのない世界を、ここにお知らせしてみました。

【福島禎蔵 履歴書】

明治二十三年八月七日生
明治41年3月宮城県立仙台第一中学校 卒業
(この間 東京大学在籍転学のことあり)
43年 9月東北帝国大学農科大学 入学
45年1月病気のため 中途退学
大正 2年5月東北実業銀行 新伝馬町支店 支配人
7年11月東洋醸造株式会社創立 専務取締役
13年 5月日本赤十字社 特別社員
〃11月宮城産業信用組合創立 副組合長 理事
14年 8月東洋刃物株式会社創設 監査役
昭和 2年5月日本放送協会東北支部創設 支部理事
3年4月社団法人日本放送協会 理事
7年1月株式会社七十七銀行設立 同行監査役
15年 3月司法保護委員
19年 7月仙台少年審判所嘱託 少年保護司
〃9月仙台南区司法保護委員会 常務委員代表
20年 7月仙台地裁嘱託司法保護団体青葉会会長
22年 8月日本赤十字社宮城支部 評議員
23年 7月宮城県共同募金会 理事
株式会社七十七銀行 相談役
37年 5月財団法人共生福祉会設立 代表理事会長
40年 1月宮城県社会福祉協会 評議員
〃11月社会福祉法人共生福祉会設立 代表理事会長
41年 6月重度身障者収容授産施設
西多賀ワークキャンパス 開設
48年 3月共生福祉会館(ライフセンター)開設
50年 4月身体障害者福祉工場 萩の郷工場 開設
身体障害者療護施設 萩の郷福寿苑 開設
54年 3月九日、午前〇時五五分、逝去。享年八十九
法名 公畫★院寿永積徳日禎居士

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