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角膜移植など

床談話会、東京医大講堂

@角膜移植後の血管新生と拒絶反応 AAMD;治療の現状 BARNについての講演。

この中で角膜移植の歴史の話があり興味を引いた。

1789年にフランスのペリエ・ド・ケンシーがガラスを使って試みたのが初めといわれています。これが各国科学者の注目するところとなり、動物の角膜や、プラスチックなどの人工角膜を使って多くの実験と研究が行われた結果、人には人の角膜のみが移植可能なことが判りました。しかし、人の角膜はなかなか得難いので問題でしたが、1930年の初めにソ連のオデッサ大学のフィラトウ教授が、死体の角膜は移植でき、しかも極めて有効であると報告してから世界各国で角膜移植が盛んに行われるようになりました。これは免疫学の進歩にも通じ面白いところだが、私にはこの1789年が気になった。フランス革命の起こった年ではないか。

            臓器移植の歴史は次のようになっている。

            B.C.5世紀  皮膚移植がヒポクラテスの著作に記載
                →自己移植は成功

                 ↓

            輸血、血管、角膜、腎臓等あくまでも試行錯誤

                 ↓

            1908年カレルによる犬の腎臓、すい臓移植の試み

                        → 1912年 ノーベル医学・生理学賞

            1910年代 拒絶反応の研究が発展 → 免疫抑制剤の開発

 

           1954年ジョセフ・マレーによる、一卵性双生児間での腎臓移植が成功

 

            1963年テラサキによる免疫抑制剤を用いた心臓移植成功

 

            1967年クリスチャン・バーナードによる世界初の心臓移植手術

                   ↓

               「脳死」という言葉が世界的に注目され、さらに

 

               「脳死」の定義と判定基準の作成が急務となる

 

            1968年日本初の心臓移植「和田心臓移植事件」(札幌医大)

 

            1970年日本では、腎臓移植連絡会議にて、腎臓移植を正当な外科手術として認可移植と考えるとちょっと異なるがフランケンシュタインとモロー博士の島を思い浮かべる。

            1789年の硝子を使う角膜移植や動物の角膜を移植することをヒントに

 

1818年フランケンシュタイン1896年モロー博士の島がつくられたかと思ったがどうもちがうようだ。

フランケンシュタインは、メアリー・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley)が1818年3月11日に匿名で出版した小説『フランケンシュタイン、すなわち現代のプロメシュース』(Frankenstein: or The Modern Prometheus。「モロー博士の島」は1896年H.G ウェルズ。これは1859年ダーウィン『種の起源』を意識されて書かれたということである。

『黄禍論』はこの時代の欧米の知識人にあった論調で、ダーウィンの進化論とも無関係ではない。進化論的に見て劣った人種であるはずの黄色人種が、白人社会の優位を破壊するという恐怖感からきた、差別的な思想である。こうした思想があったからこそ、社会的ダーウィニズムが、不安感の裏返しだったと明言できるのである。

フランケンシュタインの電気刺激により人造人間に生命を与えるというアイデアは、筋肉が電気刺激により痙攣すること発見したルイジ・ガルヴァーニの実験(1791年)からだそうだ。

 

今日の勉強会、OCT(網膜、ブドウ膜の詳細を診る)についてですが、これの進歩もめざましい。昔は扱いも大変で写真も見にくかった。今は簡単で画像も解剖図のようです。

器械は「より早く、より見やすく、より簡単に操作できる」を常にめざしている。

昔は3種の神器、冷蔵庫、テレビ、あとは何でしたっけ、、洗濯機?炊飯器?車?

あればよいという時代は過ぎ、「より早く、より見やすく、より簡単に操作できる」という時代。

カメラで一眼レフのデジタルは300万画素でいいと言われた時代、今はどうでしょう。

眼科の世界は、もうこれ以上無いであろうと思われた機器がますます改良される。

人類は産業革命からゆっくりとしたラインで科学が進んできました。今はY=a]のラインがロッグ曲線に代わり加速度がついています。

油絵を考えてみますと、やはり古典的な手法も大切、昔の人の技法やこだわりを理解するには何年もかかります。新しいそれを理解しながら自分の絵を描いていく。個性、生き様が絵に表現される。しかし絵画は音楽と比べれば新しいものは理解されにくい。

現代美術は個性、未来を先取りするため、理解されるのが難しい。

今展示されているのは映像が主、これが面白いという人は、生まれながらにテレビゲームなどを楽しんだ世代であることを実感します。