「笑気ガス」ショウが1844年12月に行われた。このガスを吸うと笑ったり踊ったり、皆様これを楽しみましょう。このショウに歯科医ウエルズは自ら参加、踊ったり笑ったりしました。その後舞台から降りて観客席に座って舞台を見ていると彼の友人が笑気ガスを吸って踊っていて、したたか向うずねを打ったのを見ました。ところがその友人は平気で踊っている。これがきっかけでウエルズは笑気ガスを使って抜歯することを試みるようになりました。(私も笑気ガスを吸ったことがあります。これを吸ったとき芥川龍之介の「杜子春」のようにほんの一瞬のうちに長い人生を経験しました。旅にでて宇宙の果てまで飛んで行き、また地球にもどってくる、すると地球が手を振って「お帰りなさい!」と迎えてくれました、こんな天然色の夢を笑気ガスは見させてくれました) 1845年1月15日マサチューセッツ総合病院の古ぼけた手術室で、ウェルズは笑気吸入による公開抜歯術を行いました。ウオウレン博士の紹介は「この人は無痛で外科手術ができると言っている。彼は歯科医で、それができると言っている」であった。そのとき手術を予定されていた患者は来ず、学生の中から虫歯の患者を選ばなければならなかった。志願した学生はかなり太っていた。それも一因だと考えられますが、患者が悲鳴をあげた。「ウェルズはインチキ!」と評価され、侮蔑と嘲笑の中ドアの外へ去った。 1846年10月16日モートンはウェルズの時と同じ手術室で当時と同じ、ウオウレン博士のもと、エーテルによる公開麻酔を行なった。術者はウオウレン博士であった。モートンが患者アボットに麻酔をかけ、ウオウレン博士がメスを入れた。それまで無数の人々が叫び声を上げ苦しんださまは見られなかった。術者は絶叫した。「これはいかさまではない」 麻酔の歴史は笑気ガス、エーテル遊びから始まり、長い年月後認められるようになった。この麻酔の普及によって難しい手術がたくさん行われるようになる。ところがおかしなことに死亡率は高まることになる。これはなぜでしょう?この答えは「消毒」にあります。 ここで日本に眼をむけて見ましょう。麻酔とともにお酒というものがあったのです。 1846年にアメリカで実施された(ジエチル)エーテルによる麻酔よりも40年ほど前、花岡青洲は全身麻酔薬「通仙散」を完成。1804年10月13日、60歳の女性に対し「通仙散」による全身麻酔下で乳癌摘出手術に成功した。また、青洲はオランダ式の縫合術、アルコールによる消毒などを行い、腫瘍摘出術などさまざまな手術法を考案した。
そういえばちゃんばら映画で「怪我した人にお酒を口に含んでプーと吹きかけていました」ね。あのシーンが当時の麻酔手術たったのです。 |