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  し  け ん ど く は く
突然、芸術のフラグメントが沸々と現れてきます
バラバラなフラグメントを機を見て テーマ化整理
  し  け ん ど く は く
私見独白」 トップ

佐 伯 祐 三 編






(白矢)

  米子は足の悪いのは子供の時の股関節炎としているが佐伯の親友、山田の言は違う。 佐伯米子6歳のとき、田んぼでドロだらけになり足を挫く、まもなく熱がでた。医師にかかっても原因がわからない。


(米子の文章)

  母に連れられて帝大病院に行き、塩田博士に見ていただくと、これは恐るべき病気だといわれました。股関節炎でございました。 佐伯米子6歳のとき、田んぼでドロだらけになり足を挫く、まもなく熱がでて医師にかかっても原因がわからなかった。母に連れられて帝大病院に行き、塩田博士に見ていただくと、これは恐るべき病気だといわれました。股関節炎でございました。


(白矢)

  東大の第一外科は大槻外科、第二外科は塩田外科と昔言われていた。 股関節炎は今は結核性か先天性が多いが、昔はブドウ球菌によるものが多かった。 その当時としては治療は排膿しかない。当時治ったとしても後遺症を残したと思われる。 米子は帝大に2年間入院、麻酔をかけられる時の様子を次のように書いている。


(米子の文章)

昔の全身麻酔といいますのは、手術の前に、絶食させるので、可愛い子供に食事をさせないというだけでも、かわいそうなことでした。顔にガーゼをかぶせ、その上から、麻酔薬をぽたぽたたらすのでございました。それかいでいるのがいやで、「おかあさん、おかあさん」と叫んでいるうちに、その声がだんだんかすかに鳴り、しまいには声もでなく、死んだようになてしまうのでした。ほんのがんぜない時分でしたので.


(山田の文章)

  「店員がたわむれに米子さんを肩車して誤って落っことしたしたんです。それで足がふじゅうになった。ですから、池田家としてはもっとも可愛がった娘です。 佐伯をはじめ、米子さんが松葉杖で歩くあの姿に、なんともいえん同情を感じたのでしょうね」 ほれてほれ抜いてというよりも、同情が愛に変わって、それが抜き差しならんようになって...池田家および米子さん自身としてもこれ以外に期待するところが無かった。それでどうしてもお嫁に行こうと。 河合玉堂はお嬢さん芸のお弟子さんは一切持たない人でした。しかし米子さんだけは、池田家の両親の愛情と熱意に負けて内弟子にした。だからお嬢さん芸で内弟子にした唯1人の人です。