EF57−7号機保存会は秋に展示場を一般公開しています
公開日は柵内に入場でき、機関車内部も見学できます
保存会会員(元鉄道員など)の説明も受けることができます |
東海道本線/上越線/高崎線で活躍後、末期は全車宇都宮運転所に転属後東北本線(現宇都宮線)で最後まで活躍した電気機関車です。 |
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<宇都宮鉄道模型同好会機関誌『たぶれっと』昭和54年3月号より転載> |
「板東武者よ永えにあれ」
EF57-7号機永久保存縁起
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この話、1977年初夏、本会の幹部が例会の宴席で「本物の電気機関車を残そう。」と口走つたに始まる。「ほう。」と一同が聞き耳を立てると、「今、宇都宮運転所にある、残り少ないEF57がいかんべえ。」とて、既に腹案もある様子。数瞬裡に満座の意見は一致してこう唱え合つた。「57万歳!」
手始めに、平田宇都宮市議会議員に語らい、文化遺産の保存という意味あいで本運動の趣旨を把握諒解、公的機関への陳情の仲介者になつてもらうことに成功した。同市議は、市の長に陳情すると同時に、機関車の直接の管理者である国鉄の動力車労働組合宇都宮地方本部に、EF57形の現状について尋ねてくれた。その頃、当の動労地方本部でも長年の友である彼の電機たちの保存が話題となり、胎動を始めていたのである。二つのパーティの意気が統合され、保存運動が一本化されたのは自然の成行きであつたと言えよう。 しかし、問題となる情報が一つあつた。先方の考えでは栄光あるトップナンバーを選びたかつたのである。一方、我々の熱望してやまないのは2号機以降、典型的スタイルの57であつた。従つて僅かに2両残つた1号機と7号機のうち、後者こそ後世に伝えるべきものであると我々は強調した。少時あつて、7号機が再選された。我々は胸をなでおろした。
会では約千五百名の嘆願署名を集めた。平田氏は、3部の嘆願書を懐に、市、市議会、国鉄へ足を運んだ。市からは快諾を得た。市では国鉄へ打診、市議会では予算措置が講ぜられた。そして、ついに国鉄の協力のもとにEF577の永久保存が決定したのである。
(因みに1号機は、ナンバープレートと動輪が、宇都宮運転所正面に鎮座して、記念物となっている。)
宇都宮鉄道模型同好会会員:SH |
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EF57−7号機保存の写真記録 |
1980年(S55)6月8日に富士重工宇都宮工場内にてEF57-7の分解が行われ車体・台車を大型トレラー3台に分けられ、先台車とパンタグラフなどが大型トラックに乗せられた。翌朝の3時ごろ国道4号宇都宮バイパス経由で宇都宮東体育館隣の展示場に運ばれ組立設置されました。 |
クレーン2台で吊り上げられた車体 |
車体をはずされ、普段見られない台車 |
台車も2台のクレーンで吊り上げられた |
大型トラックに乗せられる先台車とパンタ |
翌朝.体育館の駐車場に到着したEF57-7 |
展示場で組み立てられるEF57-7号機 |
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開場オープンのテープカット
Yシャツ姿は店主 |
デッキで談笑する当時の
増山宇都宮市長 |
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撮影者:美美模型店主 |
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