マルガリータと小人 クリムトのダナエ

  スペインのプラド美術館でマルガリータを見た時、医師になってからいつか絵を描きたいと思っていましたがあまりの見事さに絵を描く気持ちをなくしたしてしまいました。絹のドレスの下にまた美しい色彩の服が見えます。こんな絵描けるわけがない、今更私が絵を描いたところでどうにもなるまいと思ってしまいました。プラドでもウイーンの美術史美術館にもマルガリータは見られます。ベラスケスは何枚もマルガリータを描いたそうです。その頃の絵はお見合い写真として描かれるものも多かったのです。そのうちの3枚がウイーンにあります。



薔薇色のドレスのマルガリータ(2〜3才)             白い服のマルガリータ(5才)                青い服のマルガリータ(8才)

 マルガ リータは絵を追うようにして15歳でウイーンの神聖ローマ皇帝レオポルド1世に嫁いでいます。彼女は娘一人を残し21歳で亡くなり、彼女の遺体はカプチン教会地下の皇帝の墓所に安置されています。私はこの教会には何度か訪れました。ハプスブルグ家の有名な人たちの大きな金属の棺おけが並んでいました(マリアテレジア、彼女の夫フランツ・シュテファンや息子フランツ・ヨーゼフ ハプスブルク王家の138人が永眠しています)。残念ながら私は当時マルガリータの棺には気がつきませんでした。 本で見るとこの棺はとりわけ大きいわけでなく、Mの文字が刻まれているだけのようです。もしまた行く機会があれば訪れたいと思います。
 ベラスケスが52歳の時、マルガリータが誕生し、彼が61歳でなくなるまで、何枚ものマルガリータを描いたそうです。その1枚がラス・メニーナス宮廷の侍女たち、マルガリータは結婚後もウイーンでも描かれています。ラス・メニーナス宮廷の侍女たちの絵の右端に小人症の男女二人が認められます。女性のほうは軟骨形成不全性小人症、生まれたときから明らかに小人とわかります。男性は単離性成長ホルモン不全症とのことです。なぜこの二人がこの絵の中にいるのかというと当時その人たちを雇うのは、宮廷の義務であり、ステイタスシンボルであったそうです(現在は成長ホルモンの投与による治療が行われています)。 絵から当時の風習、病気、作家の歴史、精神状態などを知るのは、また違った絵の楽しみ方と思いました。
 
 

クリムトのダナエ、女好きのゼウスは黄金の雨となってダナエと交わります。 その子のペルセウスは成長し母のために、メドーサの首を取りに行きます。 ウッフィー美術館にあるカラバジョのメドーサは頭に無数の蛇がうごめいています。 肝硬変は死に至る病の一つですが、この病気では臍を中心にして浅腹壁静脈が幾重にも怒張しているのが認められます。 これがメドーサの頭の多数の蛇に似ていることから、医学の世界ではメドーサの頭と言われています。