ムンクの病との戦い 褐色のレンブラント


ムンク(1863−1944)は左眼、弱視。1930年眼底出血をおこしている。その治癒過程で飛蚊症を経験しそれが絵に表されています。 他にエル・グレコ、ゴッホ、ルノアールも眼になんらかの障害を感じさせます。 テレビでジギタリスが精神病の薬として使われ、これをのむと黄色に見えるため、ゴッホの絵は黄色が多いとの話です。 1863年ムンクはノルエーにうまれた。5年後に母を結核で失い9年後14歳で姉も結核で失った。母の死後叔母が子供たちの面倒をみた。ムンクは結核にかかり死の床についた姉、悲しみにくれる叔母(絵の中では母)を繰り返しかいている。結核は当時不治の病、徐々に死に向かうが、肌は青白くむしろ美しいぐらいであった。其の後ストレプトマイシンの発見により死亡率は減少したのである。  横田敏勝先生 ( 滋賀医大名誉教授 ) の話で印象深かった部分。 ムンクの(思春期)ベッドの端に座った裸の少女、 眼を大きく開き、膝を閉じ、両腕で身を庇っている。 少女は夜中に初潮を迎え、戦慄を覚えて起き上がった。 そういえば今まで気がつかなかったがシーツに血が付いているようにみえる。 彼女を突然捕らえた不安、それは初潮そのものでなく、これから歩み始める人生に対する不安である。 壁の影がそれを暗示している。 ムンクのこの絵には、思春期の心身の不調和、情動不安定、などが読み取れる。 今まで何気なく、見ていたムンクのいろいろなものがみえてきました。
思 春 期

 群馬大学の元教授の清水弘一先生は、私の尊敬する先生の一人です。 そのお話から。  レンブラントが茶色のくすんだ色でかいたのは彼が褐色白内障であったため茶系統の色が一番明るく見えたとのこと。 アーチストの作品と病気を関連づけて解析することをpathographyといいます。