モネと白内障    当時までの
白内障手術、麻酔、抗生物質、メガネ、消毒

 モネ(1840−1926)は30歳の時から、右白内障となったが、コカインが局所麻酔として発見されたのが、1884年。 彼は手術を恐れ、眼科医を転々としたそうである。 私も麻酔なしで白内障の当時の手術を受けるのはいやです。 しかし、1923年右手術をうけ、右 0.7 左 0.1 に ( 褐色白内障、こちらは手術せず )。
 1923年に描かれた作品にから、右:青視症、左:黄視症であったと推測される。 パリのMarmottan美術館にこれらの作品があるそうです。
 70歳のころモネは両眼白内障と診断されます。手術から逃げ回っていたモネはフランス首相クレマンソーの勧めで白内障の手術をうけます。モネが手術を受けたのは1922年ですのでコカインはありましたが抗生物質は無い時代です。眼球は寒天培地みたいなもので非常に細菌感染しやすいと考えてよいと思います。昔白内障の手術は秘伝とされ、まったく見えなくなってから行うものという話を読んだことがあります。
「しだれ柳」
1919〜1923年」
 手術で一時的にぼんやり見えても後は悲惨なことが多かったことでしょう。

     当時までの白内障手術、麻酔、メガネ、抗生物質、消毒について述べてみたいと思います。

1)古代インドにおいて鋭利な刃物で水晶体を硝子体に落下させる方法(昔の箱型のカメラを考えてください。レンズをつついてフィルムの前にある空洞に落とす)
2) フランスのジャック・ダビエル(1696〜1762)は嚢外摘出術をはじめます。レンズは透明なカプセルの中に硬い核を中心にやわらかい皮質が入っています。カプセルの一部を破り核のみを取り出す方法です。
3)これに対して嚢内摘出術はレンズすべてを取り出します。
 
さて、現代は ( 以下の @〜B の手順 )
@膜の前の部分を切り取り、 A中味を砕いて、吸出し、 B人口のレンズを挿入

1772年   ジョセフ・プリーストリー(英) による笑気の発見。
1799年   ハンフリー・ディービー(英) は、笑気の麻酔作用を発見。 自ら吸入し、その結果から”Laughing gas”と命名(麻酔学の教授は笑気を学生に吸わせ、見た夢を書くようにしていました。私は笑気ガスを吸わされ、ほんの数秒間で芥川龍之介の杜子春のように長い人生を味わいました。地球の果てまで行って帰ってきたら、地球がにっこり笑って「お帰りなさい」というのです)。
1884年   カール・コラーはコカインの局所麻酔作用を広く開発。
1892年   カール・ルドウィッヒ・シュライヒ(独)は、コカインによる浸潤麻酔を提唱し、局所麻酔法を普及した。
メガネの起源は13世紀ごろ凸レンズが最初。白内障手術後に強度の遠視になります。.遠視には凸レンズが必要です。
1928年にA.Flemingが発見したペニシリンが1940年代になって工業化されて以来、ストレプトマイシン、テトラサイクリン、,クロラムフェニコール、エリスロマイシン、アンピシリン、セファロチンなど数多くの抗生物質が開発されました。
モネが幸運にも抗生物質なしで白内障の手術に成功したのが不思議に思い消毒の歴史を調べました。
BC1450 Moses 火災殺菌による最初の記述
BC434〜430 ヒポクラテス 沸騰水による洗浄 火災による防疫
シーザーの時代 バーローの微生物伝染説
1266年 ボルゴルノーニによるぶどう酒洗浄
17世紀 オランダのリューベンヘックの顕微鏡による体液細菌の観察
1768年 スパランターニ 有機体自然発生説の否定
1795年 ジェンナーによる牛痘接種実験
1832年 温度上昇による殺菌力増大の観察
その後フェノールが消毒薬として使われる
ヨードチンキ(1861年の南北戦争に使われる)いわゆるヨーチン
1857年 Wells 術者手洗い 器具消毒
1861年 パスツール 化膿と細菌の関係の証明
1865年 リスター 術後観戦防止のためフェーノル使用
1867年 ホルムアルデヒドの発見
1880年〜1900年 手術材料のオートクレイブ殺菌 煮沸消毒 手術用手袋
        煮沸消毒法 1908年ヨードチンキによる手術野消毒 
1910年 駆梅剤サルバルサン
1912年 70パーセントエタノールの殺菌力効果大の証明
1920年 マーキュロクロムの開発
1922年にモネが手術を受ける前に消毒は現在の手術室で行われているのと同じように手術材料のオートクレイブ殺菌 煮沸消毒 手術用手袋煮沸消毒1908年ヨードチンキによる手術の消毒が行なわれていたようです。モネが幸運にも抗生剤無しに手術に成功したのはこのような歴史的事実のためと考えられます。