バチカンとベルリンと
ベルガモンを結ぶ



サンピエトロ寺院
バチカンのサンピエトロ寺院の大工事費用に当てられた免罪符がルター の95ヶ条に上る公開質問状につながったことを初めてバチカンに行った時、ガイドさんに言われて、「ああそうだったんだ」と歴史を思い出したことがあります。その時ガイドさんは「皮肉にも、この サ ンピエトロ寺院が」という言葉を使いましたが、サンピエトロ寺院の今でいう内装の すごさ、これこそカソリック、これに対してスイスの教会はプロテスタントのいう聖書重視というような意味でつくられた感がありました。ガラーンとして装飾品らしきものは何もありません。
バチカンでラオコーン像を見て私の旅の目的の一つが出来ました。イリアッド・オデッセイにでてきますトロイの木馬、 トロイのヘレンはあまりにも有名です。テティスとペレウスの結婚を祝う宴席には全ての神様が招待されたのに争いの女神エリスだけは招待されなかった、エリスはヘラ、アフロデーテ、アテナイの3美紳の談笑する中に黄金のりんごを投げ込みます。そのりんごには「世界一美しい女へ」とかかれてありました。3人の女神は私のものだと争い、終にゼウスに決めてもらおうとします。ゼウスも困ってトロイのパリスにその判定を頼みます。パリスの審判は絵にも描かれています。パリスはスパルタの妃へレンを奪います。これがトロイ戦争のきっかけです。

ラオコーン 像


ペルガモン
トロイの木馬を城壁の中に入れるとき、反対した二人がいます。トロイの神官ラオコーンと王女カッサンドラです。ラオコーンは二人の息子とともに海蛇に殺されてしまいます。カッサンドラはアポロンと付き合ったことがあります。アポロンに予言の力をプレゼントされますが、アポロンとの行く末をその力で垣間見て別れます。アポロンは怒り「予言してもその予言は正しいが誰も信じない」という呪いをかけてしまいます。
ラオコーンは海の神ポセイドンに憎まれていたため殺されます。 このラオコーン像はすばらしく後世多くの彫刻家が参考にしたそうです。その後私はベルリンのペルガモン博物館に行き大きな壁に囲まれた部屋に入りました。3面の壁はレリーフからなっています。その中に「ラオコーンが蛇に絡まれている姿」とそっくりのレリーフを見つけました。遠い昔同じスタイルの芸術作品が時と時代の中に生きていたのです。 ペルガモンはどこにあるのか?私はトルコに行き山に登りそのレリーフがあったところに行ってきました。そこは荒涼としたところでぽつぽつ遺跡が残っているだけでした。

レリーフ
トルコでは他に下記が印象的でした。


カッパドキア
1) 三位一体説の宗教会議で知られる二ケーニア
ケマル・パシャお墓
2) 西暦1世紀のカッパドキア(現トルコ)のギリシャ
人医師、アレタエウス(Aretaeus)は特別にdiab-
etes(糖尿病)と縁が深い人です。 この疾病を、
「尿のサイフォンあるいはその流出」 と結びつけ
て diabetes(合成語)という名を与えたのはアレ
タエウスその人です。
3) ケマル・パシャの墓