晩年のドガ ドガの眼



  ドガ(1834−1917)も眼のことで苦しんだ一人。手紙や作品から黄班変性症が考えられる。 これは視力と色覚が損なわれてくる病気です。 晩年の作品に見て取れるそうである。 60歳の頃からはほとんど視力を失っていたと言われています。
ドガ66〜68歳頃の作品
  彼が真のドガとなったのは50歳以後だった」ルノワールはそう言っています。視力は容赦なく失われていきます。それでもドガは描きます。記憶の中にまどろみながら。その線は太く、その色彩は鮮やかに。ドガは変貌を遂げるのです。真のドガになるために。マティスが買い取ったドガの作品がありますが、それは赤い色が非常に印象的で、フォ-ビスムが生まれたのは、ドガの目が悪くなったからと言えなくもないでしょう。(美の巨人たちより) 
      1870年        普仏戦争、36歳のドガは右目でライフルの照準が合わせられなかった。
      1873年        光が強すぎて川辺の景色を楽しめないという手紙。32歳で失明した従妹の存在(遺伝的な疾患の可能性)
      1874年        第一回印象派展 私の右目はだめになってしまったという手紙
1880〜1890年  左眼の中心暗点が拡大。まぶしさ(羞明)に対してはサングラスが有効であったとのことです。

  ドガの眼の病気はなんであったのでしょう。角膜、水晶体には異常がなかったとのことです。黄斑変性症、強度近視による網脈絡膜萎縮、網膜色素変性症、虹彩炎などを考えている眼科医がいます。最近加齢性黄斑変性症が増えています。この病気は両眼同時に起こることは少なく、片眼に始まり、もう片方にも発症してくることが多いです。(記憶だけで、絵の具の区別はつかないと思いますので、視野はある程度保たれていたはずと考えられます。)またこの病気では見たいところが見えません、でも視野は保たれています。(晩年ほとんど見えなくなったとのことですので加齢性黄斑変性症とは考えにくく、また遺伝的な病気のstargartにしてもおかしいと思います。黄斑変性症はいろんな病気を含んでいますが、晩年視野も失ってくるとなると、他の病気も患っていたのかもしれません。白内障または緑内障など他の病気が同時に存在していた可能性も考えられます。

眼はカメラのような構造で,様々なものの色や形を光の情報として取り入れています。眼の虹彩はカメラの絞りに、水晶体はレンズに、網膜はフィルムに相当します。その網膜の中で、最も重要な部分が「黄斑」です。この黄斑に異常が起こると、フィルムの中心部がダメージを受けて、写真の中心部分が写っていないのとおなじように、最も見たい部分が見えづらくなってしまいます。