フォービスム
野獣派

  1890年 マティス20歳で虫垂炎になり入院。母親に油絵の具を与えられ、絵を描き始める。虫垂炎にならなければマティスは画家にならなかった。人の運命はわからないものです(この頃は笑気ガス、コカインの局所麻酔もあり、手術材料のオートクレイブ殺菌 煮沸消毒手術用手袋煮沸消毒も行なわれていた)。マティスはセザンヌ、後にスーラーなどの新印象主義、ゴーギャンの影響を受けています。色彩の魔術師、「フォービスム」にたどり着くまでマティスはずいぶん悩みます。 マティス自画像
1906年




シャガール美術館
  南フランスを訪れました。お目当てはシャガール美術館とマティス美術館。シャガール美術館には大きな絵が10数点ありました。彼は大きな絵をフランスにすべて寄贈したそうですが、掛けるところがなく、この美術館がつくられたそうです。絵は色彩を考えてそれぞれの配置が決められたとのことです。カメラはフラッシュなしならOKです。何枚か絵の前で取ってもらいました。色彩豊かで、厚塗りの部分もあれば、カンバスが透けて見える部分もありました。日本には無いであろうと思われる画集を数冊買いました。
  シャガール美術館の近くにマティス美術館があるのですがツアーにははいっていません。タクシーで別行動で5,6分のところでした。マティスが住んでいたところだったそうで、山の中腹あたり、きれいな建物です。マティスの油絵じたいは少なかったので、やや残念。しかし、日本には無かった、フォーブの画集を購入。美術館の後ろにマティスのお墓があるとのこと。詳しい案内書を忘れたため、発見できず。次回は心して用意しておこうと思いました。

マティス美術館
  
  眼科の世界でも常に新しい発見を求めます。白内障、緑内障、網膜はく離、硝子体手術、レーザー治療、手術の世界でも、治療薬の世界でも、ここ20年内の前進はめざましいものがあります。


ドラン 「コリュール港のボート」 1905年
  常に新しいものを求めるのは絵の世界でも同じようです。マティスは摸写をたくさんしたそうです。私も思い出せば、学生時代美術部員だった頃、佐伯祐三の人形を模写したことを思い出しました。3つ子の魂百までとはよく言ったもので、そのためマティスやブラマンクのフォービスム、人形に今でも、こだわっているようです。私もまた模写を始めて見ようと思います。フォービスムはもともとなんの理論もなく、偶然そういう人が集まってできたもので、やがてすぐに消えていく運命であったとされています。それはなぜなのでしょう。西洋絵画の初期から現在までいろんな流儀があり、それぞれ、次の時代に影響を与えたけれど、フォービスムは一時的で遺産を引き継ぐ人がいなかったという意味でしょうか。私が考えるに彼らは終に同じ絵を描くようになってしまった、そのため各々独自の道を歩むようになったと思います。