マネ と ビーナス

           



ボテチェリーの「ヴィーナス誕生」

ヴィーナスは愛と美の女神、しかし彼女はの出生からして血なまぐさく、美や愛は争いや苦悩を伴うことを暗示しています。ボテチェリーやアレクサンドル・カバネルの「ヴィーナスの誕生」は美しい女神が海の上に官能的な姿で現れます。なぜヴィーナスは海から生まれたのでしょう?

カバネルの「ヴィーナス誕生」

ギリシャ神話において、大地の女神ガイアと天の神ウラヌスが交わって多くの子供が生まれます。その子供達が醜いのでウラヌスはガイアのお腹を掘って子供を埋めてしまいます。ガイアは腹が痛くなり、ウラヌスをうらむようになります。子供の一人クロヌスは難をのがれ、地上に残り、母親ガイアの頼みでウラヌスの象徴が母親にせまったとき、物陰から突然表れ、ウラヌスの大事な部分を切り取り海に投げてしまいます。ウラヌスの精液と海の精が交わり泡ができ、そこからヴィーナスが生まれました。ヴィーナス、アフロデーテは泡から生まれたという意味です。
ヴィーナスはヘパイートスという夫がいるにも関わらず、軍神アレス、ヘルメス、ポセイドン、バッコス、とも関係をもちます(美少年アドニス、プシュケとエロスのお話にも登場します)。ヴィーナスは自由奔放、不倫の女神ともいえるのではないでしょうか。ギリシャ神話に多くの美しい女神がいます。その中でヴィーナスは絵や彫刻にもっとも多く登場しているといっていいでしょう。ところがこの美神は性病の名前にも使われるようになりました。ヨーロッパにコロンブスが西インド諸島から梅毒を持ち込み、フランスではナポリ病、イタリアではフランス病と呼ばれます。それがやがてヴィーナス病と呼ばれるようになり、英語でvenereal diseaseとなります。
19世紀になっても絵画の世界では、ヌードは神話やバイブル、歴史を題材として描かれました。1863年マネは『草上の昼食』を出品します。同じ年に発表されたアレクサンドル・カバネル作「ヴィーナスの誕生』のほうが余程官能的で男心をそそります。マネの革新性は同時代を描く近代性でありました。マネ(1832−1883)は激動の時代、2月革命ナポレオン三世、普仏戦争、パリコミューンを生きています。しかし絵画の世界では激動の時代と裏腹に裸婦は神話や宗教の一場面としてのみ描かれてきました。マネは「悪の華」で知られるボードレールと親交がありました。ボードレールは「近代性(modernity)」を定義するならば、一時的で流行のものであると同時に、「永遠的なるもの」の発見であるとし、我々の時代に我々自身の美を持つことが大切である」と言っている(ボードレールの「モデルニテ」)。また、黒を美しく描くことが新時代の画家のあるべき姿としています。マネはこの考え方に賛同していたと考えられます。


「草上の昼食」
そんなマネですが「草上の昼食」を突然思いついて描いたわけではありません。ティツィアーノの「田園の奏楽」がヒントとなっています。「田園の奏楽」の絵の中ではでは二人の男性と美しい女神がいますが、二人の男性に女神の裸身は見えないことになっています。この絵の意味は今では謎とされています。

「田園の奏楽」
私の考えでは、
     1)このミューズは音楽家たちを誘惑しょうとしている
     2)音楽に感動して、いつの間にか下界に下りてきて聞き惚れている
     3)音楽家たちに霊感を与え、その才能を高め、美しい音色を世界に広めようとしている
     4)音楽家たちが美しい女性のためを思い、音楽を奏でている、その女性が想像の世界から現実に
         表れている。

とにかく、マネはこの絵に強く惹かれていたのでしょう。これを現代風に描いてみたのです。マネの描いた美神たちはを当時の女性、ひょっとしたら娼婦かもしれません。ピクニックに興じる二人の男性、彼らは今の時代と同じように、どんな女がいいのか、話していたのかもしれません。理想の女性、またはその当時流行の娼婦の話をしていたかもしれません。するとティツィアーノの「田園の奏楽」と同じように彼らには見えない女性たちが二人の周りでその話しを聞いている。そんなふうにマネは描きたかったのではとも思います。女性たちは二人の男たちを見ないで絵の前の観衆をじっと見ています。ナポレオン三世を含めその当時の人たちのブーイングが聞こえてくるようです。描き方もべた塗りで、筆のタッチも見て取れる、当時としては型破りでありました。「このごろの若い者は」という言葉は私の若い頃もありました。マネの絵は古さに新しさを加えたものでありましたが、散々な酷評で終わりました。


「オランピア」
3年後、オランピアを発表します。ティツィアーノの「ウルビノのヴィーナス(このヴィーナスはベッドに寝ていて、ティツィアーノの時代としては革新的なもの)」を現代風に描き変えたものです。つまりこの絵もマネ流に『古きを新しくしたもの』でありました。

「ウルビノのビーナス」
最初のタイトルは「ヴィーナス」でありました。このモデルはかなり有名な娼婦であったそうです(ある人物がこのモデルが年老いてから会った話しを本で読んだことがあります)。マネは実際にこのモデルと関係があったかも知れません。マネは裕福な家庭に生まれ、かなり奔放な女性とのかかわりがあったそうです。その頃ヴィーナス病は港町で大流行していました。美しいヴィーナスとの一夜はマーキュリー(水銀)との生活を意味することがあったのです。その後のマネの作品はというと、評価は低いものでした。そのマネを最初に認めたのはゾラで、マネの絵が将来とんでもない高値で取引されるであろうと予想しています。1860年30歳代に軽い脳発作、そして関節の痛みを経験します。彼の家系にリュウマチの人が多くいたため当初リュウマチと信じていましたが1878年、背中の激しい痛みのため気を失い、病院に運ばれ、始めてヴィーナス病であることを知ります。その後あらゆる治療を試みますが、左足壊疽となり、切断します。この頃は麻酔下で手術が可能でした。
1772 ジョセフ・プリーストリー(英) による笑気の発見。
1799 ハンフリー・ディービー(英) は、笑気の麻酔作用を発見。
自ら吸入し、その結果から”Laughing gas”と命名。
1884 カール・コラーはコカインの局所麻酔作用を広く開発。
1892 カール・ルドウィッヒ・シュライヒ(独)は、コカインによる
浸潤麻酔を提唱し、局所麻酔法を普及した。
美しいヴィーナスには、ヘパイートスという夫がいるにもかかわらず、自由奔放に生きる女神。美しいバラにはトゲがある。『パリスの審判』で、三美神はパリスに黄金のリンゴを自分のものとしてもらうために、ヘラは「世界の王、支配権」、アテナイは「勝利」、ヴィーナスは「最高の美女」をパリスに約束します。パリスの選んだものはヴィーナスの最高の美女、スパルタ王メネラオスの妻ヘレン。結果的に今流に言えば不倫のお手伝いをしています。自らも夫以外の男性と浮名を流し、人にも勧める。「不倫の女神」といえないでしょうか?トロイのヘレンの結末は、パリスの故郷トロイの滅亡となります。そのためパリスの故郷トロイは滅んでしまいます。ヴィーナスのお話しは私が昔考えていた美しいだけの女神ではなく、もっと人間くさいものでした。