いにしえの民主政治と
資本主義

           

ソクラテスがギリシャの裁判に従って毒を飲む話、ペリクレスの話などもありギリシャの昔を語る教育テレビを楽しく見ました。民主政治(多くの人で考えて決める)を幅広く考えますと、エジプト時代にあったと考えていいと思います。神官たちがいて王がいました。アテナイは直接民主制、ところがこれは衆愚政治となり国は滅びてしましまいます。ローマはどうか?元老院(多くの貴族により話し合いで決める)。しかしこれが上手くいかず、国政が傾く。そのときシーザーが帰ってくる。シ−ザーの独裁を恐れたブル−タス一味『ローマの民主主義を守る』により殺されてしまいます。
ソクラテスの死

アウグストウスの大理石像

しかし結局アウグトウスを皇帝とするようになりローマの繁栄は続きます。東ローマ帝国は西が滅んだ後も皇帝制で続いていました。つまり一人の代表者と民主主義的要素の絡まったものが、まだまし。アメリカの大統領制はましなほうではないでしょうか。日本はあきらめ、しかたがないですます国。民主主義とは名ばかりの国と感じます。


マルチン・ルター
ここで宗教と国の関係を考えてみます。宗教は本来この世よりあの世とかこの世を見ている神様を大切と考えます。そのためこの世では清貧が尊ばれた時期がありました。ローマではこの神を信じる人が多くなり、ついにキリスト教はローマの国教とされ政教一致が行なわれます。その後教会は巨大な力をもち腐敗していきます。教会はバチカン大聖堂を立てるため資金集め、贖宥符(しょくゆうふ:罪の免除を記す)を販売。これに反対したのが1517年のマルチン・ルターによる「95ヶ条の意見書」です。ここからカソリックとプロテスタントの分離が始まります。そして これがスイスの「カルヴィニズム」につながります。
カルヴィン
なぜアメリカ、ヨーロッパ、日本などに資本主義、つまりお金儲けが根付いたのでしょう?キリスト教の歴史でカルヴィンの『コーリング』という考え方、職業は神から与えられたもの。職業に熱心なことは神に気に入られる。この思想はピューリタンに資本主義の思想を与えました(スイスのカルヴィンのお墓のある教会を訪ねました。偶像崇拝のない殺風景な協会でしたが荘厳さを感じました)。ピューリタンはメイフラワー号に乗って自由の国、資本主義の国アメリカを作ります。クリスチャンは神様ごめんなさいと謝れば何でも許してもらえると私の友人のオーストラリア人が言っていました。日本では昔、親鸞、法然、蓮如などの宗教家がいました。そのときはどう生きたら良いか考えていた。そして、その考えを大衆に広めようとしました。しかし信長によって、僧兵たちは殺されます。信長の考えはある意味で正しいところがあります。オウムと似通う危険な部分が宗教には秘められているからです。もちろん信長にとって世を治めるに邪魔な存在は消したかったというのが本当の理由でしょうが...徳川時代になって島原の乱が起こります。このときの弾圧はひどかった!この乱以後、檀家制度が作られ、人々はお寺に縛られ、お葬式やわからぬお経を聞くことになり、本当の宗教はこの国から消失します。日本は宗教があるようで無い国です。あの世よりもこの世を楽しんだほうがよい。お金儲けは楽しい人生につながる。日本的資本主義の誕生です。しかし古今東西の国の繁栄存亡を見るとき問題になるのは経済破綻と官僚制です。
マックス・ウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」。この中にはこういうことも書かれています。近代西欧文明について。合理性には2つのパターンがあり、形式合理性と実質合理性に分類される。形式合理性とは、特定のときにのみ適合的であり、官僚制などによく表れる性質である。仕事は決まりきったものになり、これは形的には合理的ではあるが、それが1番効果的であるかどうかは分からない。皇帝制、王制、共和制、資本主義、マルクス主義、社会主義いろいろありますがマックスウエーバーの危惧したことは官僚制の弊害です。官僚制は始は必要で機能的に働きますが、徐々に腐敗していきます。日本もその一過程と思われます。これをこれを変える為には明治維新のような大きな変化が必要です。