王様の耳は
      ロバの耳
リヨン

           
私の行きつけのシャンソニエ「シカゴ」と「ラッキィ」がお店を閉じてしまいました。またシャンソンを聞きたいと思い吉祥寺の「メル・アポック」というシャンソンのお店にはじめて行きました。30年続いているそうです。友達でシャンソン歌手をしている広瀬やハズキの歌に慣れているせいか、もうひとつピーンときませんでした。

広瀬 敏郎
プロフィール
兵庫県加古川市出身。立川清登氏に声楽を師事。石井好子氏、深緑夏代氏にシャンソンを学ぶ。1972年日本シャンソンコンクール、1973年カンツォーネコンクール上位入賞。1974年第一回リサイタル。ソロ活動の傍ら、コーラスでも活動する。1990年パリ公演。1991年帝国ホテルに於いて、歌手生活20周年記念ディナーショー。1996年ヤクルトホールに於いて、25周年記念リサイタル。1997年ハワイ公演。2001年草月ホールにて30周年記念リサイタル。現在、銀座「シャンソニエ鳩ぽっぽ」他シャンソニエにレギュラー出演中。
流行歌でも始めて聞いたときは、あまりいいと思いません。クラッシックもそういう所があります。音楽はなんどか聞くことで親しみがわき、いい曲ということがわかってくる場合があります。絵画にしてもしかり。印象派の絵は初期の頃は、誰もいいといいませんでした。しかし、何度も世に出品し続けるうちに、それに慣れてきてそれを評価する人が現れてきました。パリのエッフェル塔も初めは散々悪口を言われました。これも今では、人々はそれに慣れ親しみ、今ではパリに無くてはならないものの一つになっています。初めてのお店で初めての歌い手さんの歌は、私にとってはミダス王と同じ状態で、慣れ親しんだものの方がいいと感じたと思います。そのミダス王の話。
ミダス王はパン(顔は人間胴体は馬)の草笛をいつも聞いていました。そこにアポロンが来て俺の奏でる音楽とどちらが上手いか今からやってみるから決めてみろとみんなに言いました。森中の動物はアポロンが上手いといいましたが、ミダス王はパンのほうがよいと言いました。アポロンは怒ってミダス王の耳をロバ(当時ロバは何もわからない馬鹿の例えでありました)の耳にしてしてしまいます。
「この話の続きは王様が床屋で内緒にしていてくれ」と頼みますが、床屋は我慢できず、穴を掘って王様の耳はロバの耳と叫びます。その声は葦の葉が成長し、風にゆれて「王様の耳はロバの耳」と国民に知らしめてしまいます。いつも聞きなれている声、見慣れている絵が自分にとってはとても心地よいものと思います。
ミダス王と床屋
                                              
リヨンは星の王子様のサンテクジュペリ、電流の名として残るアンペアが生まれた町、映画発祥の地(リュミエール兄弟が生まれたところ)でもあります。福沢諭吉、中江兆民、永井荷風、遠藤周作が訪れています。また食の町でもあります。ボキューズの姉妹店であるお店に行きましたが、美食の町という意味はその接遇にもあるということがわかりました。そのマナーの良さ(接遇の学校があるそうです)はヨーロッパでめったにお目にかかれません。食事やワインは接遇によって味の変わるものと知りました。リヨンに行った目的はリヨン美術館にあるブラマンク。ところがブラマンクの絵が無い。なんとその時はブラマンクが倉の中(理由はわかりません、6作ぐらいあるはずなのに)。
しかし、いいこともありました。デュフィの絵がレストランの大きな壁にかかっているのです。まさか本物ではあるまいと思っていましたら、本物とのこと、ポンピドーセンター(フランス国立近代美術館)から借りているとのことでした。こんな大きな絵をかけれるのはこの広い壁のある所でしかないからだと感じました。
デュフィ自画像

地中海の風景(デュフィ)
あと、藤田嗣治の絵を始めて見ました。猫と自画像それに日本画に使う筆が描かれていました。藤田の場合、線が大きな要素になっているように思います。あの線は一気に描いた物なのか、それとも描きなおしたりしたものなのか、考えさせられました。Dufyにしても線と面の関係つまり線は細い部分が多くそれが輪郭としての線として見るのか、色彩、絵の中の一部として見るべきなのかにに関心が寄せられました。