岡本太郎 記念館



岡本太郎記念館は彼が住んでいたところ(港区 南青山)で2階に展示場があり、1階にはアトリエがあります。アトリエには大きなカンバスが高い壁一面に並べられるようになっており、そこから入れ替えて展示するようになっているようです。窓がガラス張りになっており庭が見えます。大きな筆がいっぱい、機能的な机の上に置かれ、大きなイーデルがどんと部屋の真中にあります。制作がいつでもできるような雰囲気がありました。またその手前の部屋には岡本太郎の実物大の人形があり彼の世界を見ているように飛行船の実物を小さくしたもの、造花など色々なものがおいてありました。ここからも別の庭が見えます。万国博の太陽の搭のミニもあり彼独自の彫刻がみうけられました。この家で彼は人生を楽しみ、生きていたのだなと感傷的になりました。
彼の書いた本の中にピカソと会った話があります。ピカソを超えなければならない。「なぜピカソは偉大か?」。それは芸術というものはいつも古いものを破壊し、新しいものを創造してきたからだ!ピカソはそれをやってのけた。一人の人間の中で創造と破壊を繰り返した。つまり歴史を個人の中で造りだしてしまった。だからそれだけ大きな存在なのだ。「日本の芸者とはどういう人たちなのかね?」「芸者は接待役みたいなもので、小さいときから、三味線や、唄い、踊りを習います。時には、男性と親密な関係になります。でも、その男性は芸者さんが良いと思った人だけで、誰でも良いと言うわけにはいかないのですよ!」「私ピカソと寝てくれれば、それでいいのだよ!」と、笑いながらピカソは答えたそうです。そんなピカソですが、太郎にとっての驚きはピカソが日本の芸術に深い憧憬を示したことでした。ピカソの作品の中には盗作に近い作品が多くあります。あれだけ多く描くとそんなものも多くあることでしょう。日本の芸術もピカソにとっては芸の肥やしになっていたようです。


ピカソ
ピカソのエネルギーは若い頃の自分の親友の死の悲しみを跳ね除け、男の欲望をむきだしにし、魅力ある女性から新しい力を得て時々に応じて創造、破壊をくりかえした。ピカソのぎょろりとした眼、顔自信が芸術と書いている書もあります。ジャクリーヌ コレクションなどピカソ晩年の作は、私もそう思うのですが、キュビズムなど新しさを求め破壊的な考えから抜け出て、まろやかさが感じられます。人は昔のような人の絵を描こうとすれば、一生かかってしまうであろう。素直に子供のように描くことだ。ピカソと岡本太郎は身長がほとんど同じくらいで想像していたのとは異なり、太郎と同じくらい小柄な人であったようです。作品や彼の写真からは大きな人の感じを受けます。ピカソは大きな存在でミノタウロスのように女性を襲う。欲望を剥き出しにして、自分の思ったように生きる。そんな神と人の間に揺れ動く心の持ち主。闘牛場で殺された暴れ牛の睾丸を持ち帰りニンニクでいため、あくまでセックスにこだわった人。晩年前立腺の手術をし、不能になり、1年絵がかけなかったそうです。


たばこ屋 (仏 tabac)
私はピカソは天才ではなく、努力家であったのではないかという考えになることがあります。真の天才と言うものはゴッホとかゴーギャン、バスキアなんかではないかと思うのです。特に、バスキアは絵を習ったわけでもなく、26歳で死亡。しかし、彼の絵は面白い。こつこつと研究を重ねるのも医学の進歩には大切。しかし、突然、ひょんな事から新しいものが見つけられることがあります。偶然によることも多いです。だから、私は『へたはへたなりにいろいろやって見たら、まったく偶然にいい絵が出来るかもしれない』と思って、スタイルを変えて描いていこうと思います。

バスキア

岡本太郎 記念館