印象派は
   現代美術であった



新しさとはなにか?、それを絵の世界で次のように考えました。印象派は評論家が悪く言い、大衆も評論家のいう事をを信じて、評判がよくなかった。しかし彼らはこの展覧会を続けた。はやり歌と同じです。新しいもの、聞きなれないものは、受け入れられるまで時間がかかります。また違った見方からすれば、いいものに見えます。日本で認められなかった日本の技術や芸術が外国人によって逆輸入され評価される。見捨てられていた日本の芸術がフェノロサ(略歴 下記参照)によってそのクラシカルなものが見直される。




科学の世界も昔そうでした。それでも地球は回ると言ったガリレオ、遺伝の法則を発見したメンデル、種の起源を書いたダーウイン、彼らが認められるには長い年月が必要とされました。メンデルについて、ちょいと思い入れがあるので述べてみたいと思います。



私が駒場にいるときの恩師である生物学の教授であった林先生が大学院生に出した試験問題の一つは、「なぜメンデルはえらいか?」でありました。1865 メンデルはエンドウ豆の交雑実験(下図 参照)から、形質が遺伝される法則を導き出した。「メンデルはなぜえらいか?」、この問いに私は答えられませんでした。林先生のおっしゃるにはメンデルは庭にあるソラマメを毎年観察し、誰に評価されようともせず、じっとそれを記録し続けた結果、ある規則性のようなものを見つけた。そしてまとめあげた成果が、優性劣性の法則、独立の法則などであった。それらは今のDNAにつながるものであった。人は庭に咲く花を見て、ピンクの花、白い花が美しいと思うだけであったかもしれない。メンデルは「何故ピンクになるものと白とになるのか?」と思った。メンデルの偉さは、「@すなおな観察眼を有し、A緻密に記録しつづけるまめさと忍耐力を有し、Bその綴りからそこに存在する規則性を引き出す能力を有したことなんだよ !」ということでした。




フランスではルイ14世紀の時代から始まるサロン(王立アカデミー会員による美術展覧会)で認められることが世に出る早道でした。しかし、そこでは古いしきたり・考え方・形式が新しいものの出現を拒んでいました。印象派の人たちは自分達の絵を、グループ展という形で出し続けました、また、普仏戦争の時、英国に多くの印象派の画家達が逃げ込みました。その時イギリスで彼らを評価してくれる画商が現れました。つまり、こう云うことになります。大衆が新しいものになれるためには時間がかかる、それに対して時間をかけて、自分達の絵を訴え続ける必要がある。また、外国からの逆輸入。イギリスからフランスに印象派の絵は逆輸入されたのです。


ゴッホ自画像
ゴッホの絵は今でこそ、すばらしいと言われますが、当時は精神病者の絵とされ、まったく評価されず、ある農家では鶏小屋の入り口に使われていたこともあると言うことです。現代も同じだと思います。芸術家は新しくあらねばならない。そして、それが受け入れられるためには時間がかかることを覚悟せねばならない。しかし、自分の作品を世間に問い続けなければならない。そういう意味で個展とかグループ展とかは大切であるかもしれない

黄色い麦畑と糸杉

印象派は
   現代美術であった