医師になる前の思い出




昔と今は違いますが、私が医師になる前の話をします。

子供の頃貧しい時代でした。父は公務員でした、給料前は食べるものに窮しました。その頃の公務員は立派でした。父に物事を頼みにくる人が多くいましたが、頑として品物を受け取りませんでした。2時間も頼む人がおり、小学生の私は、「お父ちゃん、聞いてあげたら!」と言いました。父はそのとき、気が緩んだのでしょう。品物を置いていくのを黙認しました。その後泣きながら、「お前のためにこんなことになった」と私をなぐりました。そしてその品物をその次の日、「私は忠実に公平にあなたのご期待に添うように努力します。申し訳ありませんが、公務員という立場ですので、ご好意には感謝しますが受け取るわけには行かないのです。」と、品物を送り返したと聞いています。私達3人兄弟を育てるため、不正を犯し、職をなくしたらという保身の意味もあったかもしれません(今の公務員は新聞、週刊誌を読むと、一部とはいえとんでもないことをしていると思います)。

その父も83歳少し越え、ボケてきています。父を尊敬しています。いつまでも長生きして欲しいと思います。わずかな賃金を得るため毎日ミシンを踏んで内職してくれた母についても、いつまでも丈夫でいて欲しいと思います。それが両親を思う家族の願いなのです。医師はその願いを受け止める必要があります。

昔のお医者様は神様でした。「天皇と同じようにトイレに行くことがあるのだろうか?」。「そんなことはしない!!」と、言うくらい尊敬の的でありまた、経済的にも裕福であってあたりまえと思っていました。お医者様の言うことに間違いがないと皆信じていました。私が大学に入り、多くの医学部の人と友人になり、医師も人間なんだと知りました。

東大紛争を経てサラリーマンになりました。私はさる薬メーカーの学術担当になり、MRについて病院を回った時の医師の態度に驚きました。また、私自身が患者として待合で順番を待っているとき、声が聞こえてきます。「なぜ全部脱がないの?診察ができませんよ!」と、若い医師が含み笑いで高校生の女の子にしゃべっているのです。私はその医師の診察を受け、「ありがとうございました。」と、言い2度とそこには行きませんでした。

弟が車の事故で救急病院に運ばれ、整形外科医でない外科医に手術され、その後足が痛くて歩けない。そこで、他の整形外科に行きましたら、その医師が元の医師と友達で、元の医師に電話。元の医師は「私を信じないとは何事か!」といい、弟は躁鬱病になってしまいました。幸い市民病院で再手術の必要があるといわれ、手術を受け、歩けるようになりました。しかし、心の傷は深く心の病は時としてでてきます。私の従姉は病院で若くして原因不明でなくなりました。その妹の弁、「姉は安らか顔をして死んでいた。ここで騒いでも姉は帰ってこない。あの顔を見てもういいのと思ったの。」と。私がサラリーマンをしていた頃、医師や官僚に対する不信がすごくありました。今はどうか?同じような時代が続いているようです。しかし、医師の世界は自浄作用があり、医療事故が起こらないような対策をたてたり、若い医師の言葉使いの教育もなされているようです。