今も私の心を打つ
  
今も私の心を打つ
オスカーワイルド オ・ヘンリー
の短編 の短編


オスカーワイルド

私はこの話を読む時、涙してしまったことが何度もあります。童話集かなんかで読んだものですが、王子の像とツバメの死が今も頭に残っています。
あらすじを書いてみます。
  壊されるときを読んで悲しく思いましたが、神が見ていてくれたということで救いを感じました。オスカーワイルドは1854年に眼科耳鼻科医の息子として生まれ、1890年代英国文学界のスターとして有名になっていました。青年期に梅毒にかかり水銀治療、治ったと思い結婚し、2児をもうける。しかし、1884年梅毒が完治してないことを知り女性との交渉をたち同性愛に向かい、投獄されます。英国は今とても同性愛が多い、女が強すぎることも一因かと思います。当時も同性愛は多かったようですが、認知度が低かったため投獄となります。オスカーワイルドは梅毒の進行を恐れていたと思います。事実、耳が聞こえなくなったりして体力も落ちていきます。「幸福の王子」は1888年に書かれています。
   結婚後、梅毒が治っていないことを知った1884年から4年後にかかれています。このときのワイルドの気持ちはどうだったのでしょうか?梅毒と言う当時としては恐ろしい病気、少しづつ進行してくる不治の病で人に感染させる。そんな状況下であの小説は書かれたのです。幸せしか知らなかった王子の自己犠牲、それとともに運命をともにするツバメ、このときツバメでなくコウノトリやカラス、スズメではしっくりしないのは、ツバメが益鳥というイメージがあるから、また気品があるからでしょうか?この像が誰にも評価されず、汚いといって壊され捨てられる。ああ!悲しいと思っていたら、「世界一美しい魂がある」と、神様が見ていてくれた !!そこで私の涙腺はまた緩むのです。ワイルドは心や身体が病気のため蝕まれる中、魂の浄化、美しいものの探求を行ったのではないでしょうか?そして、身体が滅んでも気高い思いやりの心は本当に大切なものなのだよと言いたかったのではないでしょうか?

オ・ヘンリー
オーヘンリー短編集は短い小説の中にきらりと光る物語。 昔読んだ中で思い出せるもの...「最後の一葉」、20年後、福の神と愛の神、クリスマスプレゼントなど素晴らしい作品
「最後の一葉」とは
いったい少女の病気はなんであったろうと、本をひっくり返して探しました。本には流行性感冒による肺炎とあります。つまりインフルエンザによる肺炎であった。オーヘンリーの生涯は1862年〜1910年。エゴン・シーレは1918年スペイン風邪(急性インフルエンザ)によって死去している。これを考えると当時のインフルエンザは死に至る病。最近、インフルエンザに対してはいい薬ができています。
オ・ヘンリーのもう一編、「福の神と愛の神」という話しは
ところが本当はこの渋滞はお父さんがお金によって作り出したものであった。ここで思うに、これは父の息子への秘密の愛の表現ととれば始めから終わりまで愛は素晴らしいものととれると思います。

                1990年刊 →


オーヘンリーの20年後という話のなかに二人の親友がでてきますが、40年ぶりに親しかった友人に出会いました。短い時間でしたが、タイムマシーンを経験したようでした。中学の同窓生は高校、大学の同窓生と違い、地元で左官屋さんとか、植木やさん、お菓子やさんになっているなどが多く、東京からの私は遠来の客で皆に珍しがられました。20年という月日は今になればあっという間です。20歳代の頃は10年がとても長く感じられました。

その昔読んだオーヘンリーの「20年後」


現代は顔を変えることができます。鼻を変えている女優さんなどたくさんいます。この小説が出来た頃は美容整形はない時代。もしあったなら、ストーリーも違ったものになったでしょう。ともあれ昔読んだ小説はやさしく心に響きます。


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