マレ地区に住む友人と歩く

 


サンドニ
パリではエリックの関係の所にいつも泊めてもらっています。このアパートメントの下は墓地だったそうで、ルイ14世の双子の兄弟の鉄仮面らしき物のお墓が出てきたそうです。久しぶりにサンドニに行きました。マリーアントワネットのお墓や、クロービス、ピピンのお墓があるのに、ルイ14世のお墓がないのに気づきました。理由を案内の人に聞いてもらいましたら、革命の時荒らされて何も残っておらず、後でつくったレリーフのみ壁にあるといわれました。教会を出て歩いていると、10代の男の子の一人に後ろからはがしい締めにされ、もう一人に首にかけていたカメラのチェーンの引っ張られ、カメラを取られてしまいました。必死で追っかけましたが、10代には勝てません。デジカメの安いものでしたから、まあいいやと思いましたが、あの地区は危ないので今後気をつけようと思いました。

カウントダウンはモンマルトルの丘で楽しみました。12時になると花火や爆竹で大騒ぎです。エリックが今日帰ってくるということで、そこから歩いてマレ地区まで帰っていきました。ブルターニュの野菜、ワインなどをごっそり車に積んで帰って来ました。初めてパリに行った時、モンパルナスのメリジアンホテルに泊ったことがあり、モンパルナスは懐かしい場所です。しかし、ここで財布をすられた思い出もあります。パリのスリはイタリアと違って知らないうちに取るのが普通と思っていましたが、今回は羽交い絞めでやられ、まったくイタリアなみでした。モンマルトル墓地で有名人のお墓参りをしたこともあります。モンマルトルに藤田が住んでいたところがあると聞いて探しましたが、わかりませんでした。ドームというカフェで牡蠣料理を食べました。ここには藤田、キスリング、モジリアニ...多くの写真がかべにかかっています。昔は安かったのでしょうか、今はそこそこ値段は張ります。



モンマルトルの丘を望む


カルバナレ博物館
今回はセーヌ川をゆっくり歩いて、カミーユの住んでいた家を訪ねたりしました。最高の収穫はノートルダム寺院の周りに沢山の安いおいしそうなレストラン街を見つけたことで、歩くだけで楽しいです。また、その近くに昔からある大きな格式のある病院が救急で眼科が開いており、患者さんの合間を縫って、診察室を覗いたことです。日本と眼科機器が多少違っていました。眼科、耳鼻科、整形外科、産科などは昔、外科から専門化し、分離した歴史があります。そういうことを調べる気になりました。カルナバレ博物館はエリックのアパルトマンのすぐ近く、昔行った事があると思っていたら、初めての訪問でした。その広いこと、昔からの、パリの歴史を知るいいところでした。藤田の絵が一枚だけありました。帰りに日本にはない藤田の画集を買うことができました。明日休みのため、今まで得たものを書き出してみました。落書きアートは黒と白を思い切り使って、酒を飲んでえいやと描くのがいいように思います。
エリックのアパルトメントの壁は崩れ落ちそうなので、なぜあのままなのかと聞きましたら、歴史的意味があって張り変えられないとのことでした。マレ地区は美術館、セーヌもすぐ近く。骨董街、おしゃれなお店、安いレストラン街、ワインバー、バスチューユ広場など等、とても魅力的なところです。それにいつも同じところにいる女性の乞食。前にも書いたかもしれませんが、エリックも彼らに優しく、お金を渡します。「なぜ?」と聞いたら、「彼らには今このお金は必要だけど、僕には今必要ないから」と。ジョンマリーも同じです。彼女を寒過ぎるからという理由で部屋にとめてあげたことがあるそうです。そうしたら、そのアパルトメントはノミが発生し皆で殺虫剤で大掃除となったそうです。鉄仮面のお墓についてはもう少し詳しく聞いてみます。アパルトマンには駐車場がないため、その周りがその地区も住民の駐車場になっています。そのためどこに行っても、車が写真をとるとき邪魔になるのは仕方がないようです。私の疑問はトイレなのです、水洗トイレが何時出来たか、どのようにして造られたのか、不思議に思っています。 

マレ地区