クラマール  
佐伯自殺未遂場所 

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佐伯祐三 「クラマール」 1928
クラマールに行ってきました(平17末)。パリからすぐのところです。佐伯が首をつったと言う森、教会、家など、日本と違う油絵になる風景でした。
クラマールの佐伯の住まいや首をつったとされる森は駅から20分くらい歩いたところにあります。佐伯の家は山手で教会の近くです。なぜ佐伯ははるばる死に場所を求めてクラマールの森に行ったのか?ブルヴァール・デュ・モンパルナス162乗り物ではるばるクラマールに行き歩いて森に入っていく。そこで首をつる。
この森は今では散歩道があり、犬を連れた人に雪の中で出会いました。しかしこの近辺はそう人が通るところではなかったはず。
6月20日佐伯は姿を消す。
5フラン、顔見知りのホテル・パックスのマダムに5フラン借り、クラマール(ムドンの森)に向かう。クラマールの村役場前のカフェの主人は1人の東洋人が一休みして森に行くのを記憶していた。ブローニュ警察から夜10時佐伯保護の連絡あり。  (中略)
佐伯のこのときの気持ちは本当のところどうであったのか。
自殺することをわざわざ人に知らしめたように見え、また結局死に切れず、友人の前で芝居がかったようなことをしている。クラマールに行くまではかなりの時間があり、自分の行先を知らしめるような行動をしている。死ぬぞ、死ぬぞとふれ回りるヒステリーに似た行動を取っている。つまり本当は死ぬことが目的でないように見える。

彼は草としての自分、米子の加筆になやんでいたのではないかという疑問がおこる。パリでのホテル住まい一つをとってもかなりの大金が必要。この金は兄からだけの仕送りであったのか?草だから得られた金ではなかったか。
草とすれば彼の草としての記録は本願寺に送られたはず。草として文章を書けば書くほど彼の心はゆがんできたと思われる。絵にしても自分本来のものを求めて現実から逃避したくなっていったと思われる。このままでは俺は死ぬぞと周りのもの、自分にも言いたかった、知らしめたかった。
自分本来にもどりたかったのが本音ではなかったのか。

ムドンの森