しかし、コローの絵は穏やかで見ていると吸い込まれそうな自然を描いています。それはどうしてなのか疑問でした。東大紛争のときのようなノンポリであったのか?または体制にすっぽり飲み込まれた人であったのか?コローの人生を垣間見ますと、『まさに人は思春期までの体験が大きくその人に影響を与えるのだなァ』と感じました。
彼は1796年パリ、セーヌのほとりで生まれています。この生家の周りの風景(木、水)は旧体制時代そのもので彼の生涯に大きな影響を及ぼしました。また、母親はヴェルサイユに育ち、マリーアントワネット時代の社交界の雰囲気を敬うところがあったと思われます。少年時代、百科全書派のセヌゴン一家に親しみ、自然に対する構え、人間に対する尊厳を教えられたとあります。1822年26歳のとき「画家になりたい」と父に告白し、本格的に絵を描き始めます。コローは長い間誰にも認められず絵を描いてきましたが、1846年レジオン・ド・ヌール勲章を与えられる。その頃、コローはドラクロワとも親交を結びお互いに高めあいます。以下、私の印象に残った部分のみ抜粋します。
1)コローのパレットのひとつに使われた使用色は19色と多彩。
2)ピサロやモリゾーに絵についてアドバイスしている。
3)印象派の多くの人が彼の野外の光を表現する技を認め、人物画はドガ、ルノワール、ピカソに影響を与えている。
4)多くの贋作の出現。
5)病気がちで年老い、惨めな生活をしていたドーミエに家を買ってあげる(ドーミエの生き方。また晩年失明寸前になり1878年両眼手術とあり興味あり)。
6)「モルトフォンテーヌの思い出」にはいくつもの類作があるとのこと、ここに行ってみたいものです。モルトフォンテーヌの絵の模写して見ようと思いました。そう思ってモルトフォンテーヌのボートマンなど見ましたら、『あかん、無理や!』と思いました。模写などとてもできる代物ではない。佐伯の人形は素人に描く勇気を与えますが、この絵には降参。最初、空の灰色を描き遠景から描いていくのだと思いますが、『こりゃ無理や!』
ところで、風景画や静物画を人はなぜ描くのでしょう?また、どういう絵が人に感動を与えるのでしょう?
ゴーギャンが黄色い家にいたころ、ゴッホに『なぜ靴の絵を描くのか?』と聞いたところ『この靴は神父として歩き回っていたとき、私のために磨り減ってくれた、大切な靴なのだ』と答えています。ゴッホの「種をまく男」は神が人に生を与えている、「麦刈り」では人の命を刈り取っている。つまり、絵の中に自分の信じている神を見ています。ゴッホにとっての風景とか静物には、神が関わっていたと思います。
セザンヌはどうしてサント・ヴィクトール山を描いたのでしょう?セザンヌがパリからなぜいやな保守的な人たちの住むエクスに戻ったのでしょう?それは若い頃、ゾラ等と一緒に走り、遊んだ景色が心の中にあったのだと思います。サント・ヴィクトール山は山として、またまわりの景色から見て、普通の人にとっては描きにくい代物でしかないと思います。コローやセザンヌがなぜ景色を描けたのか、それは目の前にある景色が、すでに心の中で昇華され、子供の頃の思い出の中の景色と交じり合い、哀愁とか懐かしさとかの感情を加わったように思われます。