戸塚宿を行く(歴史探訪)

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戸塚パルソ通信@メール 第139号

戸塚宿を行く(歴史探訪)

vol067-1

石橋山に散った剛勇佐奈田与一と証菩提寺(1)

■佐奈田与一と証菩提寺

源頼朝の旗揚げで活躍した佐奈田与一とは
上図:治承四年八月廿二日夜源平石橋山大合戦佐奈田俣野組討ノ図(歌川国芳)

■佐奈田与一

佐奈田与一(さなだよいち)(佐奈田義忠。真田義忠、岡崎義忠とも)は、源頼朝の平家打倒の旗揚げに馳せ参じた武将の一人です。
相模の豪族、三浦氏の一門で、父親の岡崎義実は、三浦氏の総帥三浦義明の弟に当たります。相模国大住郡岡崎に所領を持ったことで、岡崎の名字を名乗り、さらにその嫡男であった与一は、岡崎の佐奈田(真田)・現在の平塚市真田を所領としたことで、佐奈田を名乗ります。
上図左:真田与一と俣野五郎(初代豊国)
上図右:武勇高名組討選・真田与一と俣野五郎(歌川芳艶)

平家打倒の兵を挙げた頼朝軍ですが、おりからの大雨で主力軍である三浦氏の本軍の合流が遅れ、石橋山で、10倍の敵と対峙することになります。
圧倒的な劣勢の中で、これを覆すには、一気に敵将を討ち取ることのみ、と、頼朝はその大役を務めるものを名乗りを上げさせます。
大軍勢の中へ、少数で突撃するわけですから、決死隊となる役目です。
頼朝は、武勇に優れる佐奈田与一を抜擢します。
佐奈田与一は、先鋒の名誉と奮い立ちます。白葦毛の名馬にまたがり、綺羅綺羅しい装束、わずか15騎の郎党を引き連れて、敵の大将、大庭景親の本陣へ突入します。
これを迎え撃ったのが、副将の俣野五郎(義の男・俣野五郎景久)。
二人の勇将の戦いはなかなか決着がつきませんでしたが、ついには加勢に来た長尾新五の手によって、佐奈田与一は討ち取られてしまいます。
石橋山では、圧倒的な物量の平家軍に大敗した源頼朝ですが、しかし、この佐奈田与一の活躍もあり、なんとか一命は取り留め、安房国へ脱出することができました。
そこから捲土重来した頼朝は、ついには平家を滅ぼし、鎌倉幕府を打ち立てることになります。
石橋山の合戦から10年後、鎌倉殿となった源頼朝は、正月恒例の二所詣でに出かけます。
二所詣でとは、伊豆山権現と箱根権現の「二所権現」と、三島大社を参拝することで、旗揚げ以降、源頼朝が多くの加護を受けたと深く信仰している霊場巡りです。
この時、伊豆山権現を目指していた頼朝は、佐奈田与一討死の地を通ります。
頼朝は思わず往時を思い出し、落涙してしまいました。
参拝途中で涙を流すことは縁起が悪いとして、その後は、伊豆山権現を最後の巡拝地とし、二所詣が終了してから、石橋山を通って鎌倉に戻るルートに変更されたとのことです。

■佐奈田与一最期の地

次回は、佐奈田与一の菩提を弔うために、父の岡崎義実が建立した証菩提寺を訪ねます。

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