
戸塚パルソ通信@メール 第147号
戸塚宿を行く(歴史探訪)
vol071-01
戸塚の古道かまくら道(1)
古来より交通の要衝だった戸塚。武家の都である鎌倉に向かう「かまくら道」は関東のあらゆる地域から「いざ鎌倉」と、武士たちが駆けつけられるように早くから整備され、戸塚区内にも多くの古道が残されています。
戸塚をかけた古の武士たちの跡を追ってみます。
■かまくらみちの道標
「戸塚宿七福神めぐり」でも有名な妙秀寺の境内には「かまくらみち」の道標があります。
この道標は、東海道沿いの大橋のたもとにあったものが、のちに移築されたと思われます。
歌川広重が描いた東海道五十三次戸塚宿
これが「かまくらみち」の道標です。
■戸塚区内のかまくら道
かまくら道は、大小無数の道に分かれており、時代によっても変遷します。
その中でも、鎌倉と上州高崎をつなぐ「上道」、下野宇都宮をつなぐ「中道」、常陸水戸をつなぐ「下道」は3大幹線です。
戸塚区はこの3本の道が合流する場所にあたっており、鎌倉に入る直前に軍勢の陣容を整えるにはうってつけでした。
支線の一つである「吉田道」は、大橋から笠間へ抜ける道で、江戸期には、東海道から鎌倉へ向かう分岐点として賑わいました。
●妙秀寺
■次回から、かまくら道を歩きます。まずは、戸塚を貫く吉田道から。