戸塚パルソ通信@メール 第41号
戸塚宿を行く
vol.015-03
古道を歩く柏尾通り大山道3
江戸時代に、江戸近郊の行楽地として栄えた大山。大山に向かう道は数本整備されたそうですが、そのうちの一つ「柏尾通り大山道」は、戸塚区の不動坂で東海道と分岐しました。今回は「戸塚区・泉区」の大山道を歩きます。
○西が岡〜泉中央〜境川
西が岡二丁目の信号
「中川地区センター」の看板がなぜかマンションを指しています。
確かに→の方向に地区センターがありました。
マンションを超えた向こう側。
大通りに出ると、植え込みの中に石碑があります。
「堅牢地神」の道標。大地を鎮める信仰とのことです。
○国際親善総合病院
幕末に外国人居留地に作られた病院を前進とする、古い歴史を持つ病院。「横浜ゼネラルホスピタル」「横浜一般病院」などの改称を経て、昭和42年に「国際親善総合病院」に。さらに平成2年に現在地に移転しました。
【国際親善総合病院ホームページ】
国際親善総合病院の側道を登ります。 意外に急坂 坂の突き当たりを左折 広がる空!爽快です! 杉林の名残でしょうか。
流れる雲。
「和泉小入口」・かまくら道とぶつかります。 柏尾通り大山道の説明板が立ちます。
文化年間の庚申塔に「西大山道/北八王子道」と刻まれています。 畑が広がります。ここから道幅は少し狭まります。「和泉小学校」
小学校の先を左折。一気に狭い道にないます。 ここは右折です。 剥落して読めませんが、道標でしょう。大山道を進んでいる証拠かな。 駅前等で撤去された自転車・バイクの保管場所がありました。 泉中央の街が見えてきました。
長後街道にぶつかります。
○蚕御霊神塔と神明社
蚕の霊を慰める慰霊塔と、鎌倉時代に、現在の泉区で活躍したという「泉小次郎」の伝承地である神明社。長後街道を超えたところにありました。
泉区総合庁舎 和泉川の親水公園
相鉄線が走ります。
さらに登って「和泉坂上」
中和田公園。明治の実業家が提供した招魂社から始まったとか。
長後街道から中へ入ります。
綺麗に整備された公園
お地蔵様でしょうか。特別な雰囲気が漂います。
夜は寂しくなるんでしょうね。
こちらで右折(北上)。
長後街道を突っ切ります。
浄土宗無動寺。銘木古木指定のイチョウが見事です。
西へ向かいます。
かっこいい貸し農地の告知。
ついに到着。境川です。かつてとは橋の位置が変わったようです。
ここから先は藤沢市。
戸塚・泉の大山道、完歩しました。変化に富んだ面白い道でしたね!
○今回のルート:西が岡二丁目〜境川