戸塚宿を行く

戸塚駅西口 11ブロックからなる絆体験ゾーン"戸塚パルソ"

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戸塚パルソ通信@メール 第54号

戸塚宿を行く

vol.022-02

戸塚駅から西へと続く長後街道を歩く(2)

踊場駅。 1番出入口は戸塚区。

「猫の踊場伝説」にちなむ踊場駅には、猫がいっぱい!踊場の猫たちで和みたい方は、こちらへ寄り道をどうぞ。
>>「ネコまみれの駅 踊場駅でネコを探す」

( ◀長後街道を歩く(1)  長後街道を歩く(3)▶)

踊場の猫の供養塔。
詳しくは「戸塚宿を行くー踊場の猫

駅舎の上に地域ケアプラザが建ちます。

ケアプラザ横、岡津街方面へ続く道を右に見て

長後街道沿いに鬱蒼とした木々が見えます。

鯉ケ久保ふれあいの樹林でした。
「戸塚・泉ふれあい樹林」

山神社入口から長後街道に戻り

進むと、中田駅。

中田駅の近くに中田寺(ちゅうでんじ)があります。
明治時代には、学校や金融で、地域の中心的役割を果たしました。

中田寺から長後街道に戻ると、何やら看板。
『マッカーサー井戸』ってなんだろう?

看板によると、第二次大戦後、厚木飛行場に降り立ったマッカーサーが、宿舎である横浜のホテル・ニューグランドに向かう途中、当地にあった井戸をかり、水を飲んだとのこと。ポストの後ろあたりだろうか?

近くには庚申塔なども。

さらに西へ向かいます。

立場駅。由来となった「立場」とは、休憩所的な意味。

江戸時代、宿場以外での宿泊は禁止されていました。 しかし、旅客が戸塚や藤沢のキャパシティを越えたとき、「立って休んでいる」という建前で、実質的な宿泊地として機能した場所と言われています。

長後街道は、立場でかまくら道と交差します。

「和泉町作右衛門公園」。一風変わった名前につられて長後街道を少し外れました。

由来を書いた記念碑があります。地域のために、土地を公園用地として提供してくれた方のご先祖が、代々「作右衛門」を名乗っていたため、その名を公園名としたとのこと。

自然保護樹林と野球場が整備された公園です。

また長後街道に戻ってきました。「中和田さくら橋」

史跡 鎌倉郡中和田村役場跡地。小さな公園になっています。
背後に見える赤い屋根が、泉小次郎が建立したと言われる神明社です。
>>北条氏台頭に挑んだ御家人 泉小次郎

泉区総合庁舎。泉中央のエリアに到着です。

泉区民以外はあまり入ったことがないかもしれません。
泉区総合庁舎の中は大きな吹き抜けで開放感抜群。

和泉川にぶつかって、今回はここまで。

マッカーサーも使った長後街道でした。次回はいずみ中央から、終点長後を目指します。

○長後街道(踊場駅からいずみ中央駅)