戸塚パルソ通信@メール 第95号
戸塚宿を行く(歴史探訪)
vol039-3
平安時代の万能の天才大江匡房と東嶺八幡(3)
東嶺八幡 大江匡房歌碑 味岡宣親建立
( ◀ 大江匡房と東嶺八幡(2) )
●歌碑の文字が判明しました!
前回、判別不能とお伝えした大江匡房の歌碑ですが、早速、情報をご提供いただきました。 まず、上の句。「志(し)くれせぬ」「よし田の」 「むらの」「穐(秋)おさめ」
続いて下の句です。「か梨(り)ほす」「いねの」「はかり」
一部重複します。「いねの」「はかり」「なきかな」
通して読むと、以下の通りになります。わかりやすいように現代仮名遣い、漢字の置き換えをしました。
時雨せぬ 吉田の村の 秋収め
刈り干す稲の 計り無きかな
(意訳)時雨も降らずに(濡れることもなく)無事に吉田村の秋の収穫が終わった。
刈り取られ、干されている稲は、数えようもないくらいの豊作だ
情報をいただきましたのは、戸塚歴史の会でも活躍された、別府敏様です。
横浜市教育委員会の文化財調査報告書・戸塚区石造物調査報告書に、当該歌碑の調査が掲載されていることをご連絡いただき、ご丁寧な解説もお聞きすることができました。
この場で御礼を申し上げます。