戸塚パルソ通信@メール 第97号
戸塚宿を行く(地域逍遥)
vol040-03
日本の黎明にその名を残す武相国境をゆく(3)
武相国境を体現する地名ですね。山あり谷あり、「山谷」です。
●前回、旧東海道が見えていましたが、いったん逆方向へ。
横浜丘の上病院に登る坂の反対側を進みます。
北進する道に入ります。尾根伝いだった前回と逆に、谷戸を進む感じになりました。
と、思ったら、やはり登り坂です。
すぐに下り坂(笑)アップダウンが激しい。
進むと行き止まり表示にびっくり。
史跡の「萩原代官屋敷・道場跡」でした。
安政5年(1858)には、のちの新撰組局長、近藤勇も訪れています。
脇に進む道がありました。まるで時代劇の様な竹林の真ん中を通ります。
竹林を抜けると、一気に現代です。
「境木立場跡」。ここで旧東海道は武蔵国から相模国に入りました。
境木立場の名士・若林家。見事な門構えです。
輝度から覗くと、「聖蹟」の看板が見えました。明治天皇が、東京下向の際、休息されたとのこと。
隣接する境木地蔵。鎌倉の腰越で引き上げられたお地蔵様が鎮座されています。
時節柄、マスクをしているお地蔵様がいました。
進んで、環状2号線と交わります。真正面に富士山の勇姿が!
横須賀線の線路を、ガード下を潜って越えます。
ガード下を抜けると
今度は東海道線が立ちはだかります(笑)
横須賀線と東海道線に挟まれた場所にある「北天院」。
禅宗のお寺らしい、綺麗なお庭です。
門前の竹林。絵の様な風景です。
戻って、今度は渡線橋を登ります。
東海道線を越えて、さらに北へ。
■次回は、緑園都市を目指します。
・今回のルート(実際のものとは多少違います)