戸塚宿を行く

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戸塚パルソ通信@メール (第7号)

戸塚宿を行く

Vol.003-03

謎に包まれた戸塚の玄関口大橋

「大橋が、戸塚の代表的な景色として定着したのは、歌川広重の浮世絵のせい」 浮世絵にまつわる驚きのエピソードとは。

歌川広重の東海道五十三次戸塚宿は、あまりにも売れすぎたので、版木が擦り切れてしまい、改めて原画を描きなおしたというエピソードがあります。
その後も様々な広重の五十三次が発行され、20数種類ものパターンが確認されています。

順番としては、有名な橋だから題材に取り上げられたののではなく、広重が取り上げたので有名になったのが事実だとか。
思いがけず急に有名になったので、それ以前はほとんど資料として残されていなかったということのようです。

ところで、広重にはある疑惑があります。
「歌川広重は実際には東海道を旅していない」説です。
その疑惑の傍証として、戸塚宿の絵があげられることがあります。
実際の道標には「かまくらみち」と書かれているのに、広重の作品では「かまくら道」となっています。
これは実物を見ていない証拠だ、というのですが。。。

「ナンセンスなんじゃないでしょうか」
広重の大橋の絵が、版木を作り直したことに触れましたが、このとき、広重は作品にいろいろと変更を加えています。
旅人が馬から降りていたシーンを乗るシーンに変えたり、「こめや」に扉をつけたりしています。
芸術家として、単純に復刻するのではなく、いろいろと改善してみたかったのではないかと推定する中川さん。
そして指摘するのが、背景のわらぶき屋根の角度です。

「版木の作り直しなのですから、これは同じ家です。建て替えた訳ではない。最初の絵はわらぶき屋根の角度が鋭く、次の絵は角度が緩い。これはほかの絵でも同様の傾向があり、画家としての作風の変化といえます。広重は画家であって、五十三次の浮世絵は、学術調査ではありません。細部にいたるまでまったく誤りのない、精密なものを描く必要はありません。おそらくは正確さよりも芸術性を優先する。『かまくら道』の方が、構図としてしっくりくると思えば、そう変えるでしょう。そこをとらえて、実際に行ったとか行っていないとかは判断できません。」

今、その物議をかもした道標は、近くの妙秀寺の境内に移築されています。 当時の道標は旅人の安全を祈って、多くが名号や題目を彫り込んでいたといいます。 大橋たもとのかまくらみちの道標には南無妙法蓮華経と、題目が彫り込まれていました。 改修の際、撤去された道標が、その縁で、日蓮宗の同寺に移されたのではないかと推定されます。 傷みが目立つ道標ですが、江戸時代の人々が目にしていたそれが、現代の自分の目の前にあることに不思議な感覚を覚えるのでした。

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