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セザンヌ の 絵とは

岡本太郎が、パリでセザンヌの絵とピカソの絵を始めて見たとき、なぜか泣いたそうです。
岡本太郎いわく。泣くということそれは赤ん坊が世に出る時、おぎゃあと泣いて出てくる。
つまり、自分が新しく、生まれ変わるという。それほどセザンヌの絵はすごいかったのだ。

私のセザンヌの絵に対する見方

セザンヌの絵は、モネやルノワールの優しさ、ゴッホ、ゴーギャンの感情、激情、色彩などと比べると、わかりにくい、裸婦にもまったく色気がない、難解な絵である。私から見ると大水浴など、何の色気も無い女の表現。しかしながらセザンヌという人は近代絵画の父とされる人、そして又、セザンヌの絵画は当時の画家たちにも評価されています、事実ゴーギャンも、マチスも彼の絵を欲しがりました。その理由はなぜか?セザンヌの絵は理科系の絵と考えれば理解しやすいと考えます。私自信、理系に進むか文系に進むか迷ったことがあります。文系の方が多くの人に親しみやすいと感じます。物理や化学、数学より小説や歴史の方が親しみやすい。セザンヌの名言「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです。」この言葉から私はセザンヌの絵は理科系の絵ではと思いました。セザンヌの絵には合理性が認められます。明暗、彩度色彩の違いによる前後の関係を考えるとき、手前のものを明るく、または色彩鮮やかに描くことは対象をそれらしく見せる合理性がある、セザンヌは光よりもこの合理性を重んじたと思います。セザンヌは物体を切り取りキャンパスの上で画面構成をする新しい方法を試みた最初の人物と言って良いでしょう。セザンヌの有名な他の言葉に「自然に則してプッサンをやり直す」という言葉があります。これはプッサンの画法のみを意味しているのではなく、自然主義を重んじながらも文学と絵画が融合を目指していた。だからゾラの小説に出てくるタイトルと同じタイトルの絵をみることが出来ます。ピサロなどに影響を受けながらセザンヌは彼なりの絶対の探求を続けた。
晩年は抽象に向かったと言われてます。若い頃の作品を見ると形がはっきりしていますが晩年になると形がはっきりせずタッチと色彩でサント・ヴィクトワールを描いている様に見えます。これがセザンヌの抽象化と言われる由縁と思います。「デッサンと色彩はもはや区別できません。色を塗るにつれてデッサンもできあがります。」というセザンヌ。私は彼が糖尿病により、白内障または網膜症によって、かなり視力が落ちていたのではないかと思うのです。曇り硝子を通して見た景色は形ははっきりせず、色彩はまだらな白を含み、色彩は交じり合い、空は青だけでなく、緑も混じるようになると思います。そんな眼で彼の晩年のサント・ヴィクトワールを見ています。ピカソの晩年の絵もそんなところが見えます。モネ、ドガの作品をそういうふうに見ますと、はっきりモノが見えない状態で描かれた絵は、普通では見えないものが見える絵となると思えます。


ローヴからみたサント・ヴィクトール山
1905

私の友人のAsyuranoteさんのセザンヌ感

セザンヌが「現代絵画の父」と呼ばれたのは、端的にいえば絵画を構成するエレメントたる「色彩、形」そのものの固有の生命を解放したからなのです。つまりそれらに、「何かを表現するための手段としての意義」ではなく造形目的そのものとしての意義をみたということです。その考え方はその後の立体派、未来派等を経てから抽象絵画、現代美術にまで脈々と受け継がれました。このことのもう一つの意義は芸術に「普遍性」を与えたということです。色、形という「造形エレメンツ」は音楽に於ける音符と同じくインターナショナルなものです。つまりそれらは万国共通に理解され得るものということです。

エミール・ベルナールとセザンヌ
この人はゴッホやゴーギャンとも文通しています。巨匠たちの聞き手として最高の人、なぜこの人はこうも巨匠たちと文通できたのでしょう。今であれば携帯で毎日話し合えますが当時は手紙だけです。筆まめで、なるほどそうなんですか、納得しましたと相手にいくらでも話させることにたけていたのでしょう。カーネギーの「人を動かす」という本がありますが、エミール・ベルナールは人に語らせる天才であったと思います。


エミール・ベルナール自画像

私の友人でアルザスに住む 横山 さんのお話 @

セザンヌは白を含めて19色のチューブ入り絵の具を使用していましたが、黒のチューブ入り絵の具は使っていなかったようです。ボラールの報告からセザンヌはテンか臭猫の毛の筆を思わせるやわらかい筆を愛用していたようです。また、色を使う度にテレピン油で筆を洗浄していたようです。ジャーナリストのジェロウが自らの肖像画を依頼した時の報告から人の顔の詳細は一番最後に描いたようです。これらの記述からかなり「色の濁り」を気にしていたのでは無いかなと思います。また、絵の具を乾かさずに短時間で描こうとしていたようにも思えます。油絵の具を使う上で、この方法は「描きにくい」ような方法に思えます。油絵の具の性質に沿うのではなく、反発するかのような描き方にも思えますれば、印象派の絵はとても見るに耐えなかったと思われます。この人の絵は最近また見直され評価割れています。

私の友人でアルザスに住む 横山 さんのお話 A

セザンヌの意図したい事を言葉で広めたのはエミール・ベルナールです。印象派の絵画はダダイズムと同様に反体制的要素のみで成り立っていることを見抜いていたようにさえ思えます。実としての印象派である「後期印象派」には欠かせない人物のように思えるのです。エミール・ゾラはジャーナリストとして、印象派の伝播に多いに貢献したと思います。けれど、その印象派の思想にセザンヌは少し嫌気がさしていたようにも見えます。コローの流れをピサロが汲み、セザンヌが受け継いだ訳ですが、「見えない物を描く」という印象派にとって肝心の部分は「反体制」の勢いに打ち消されていたような気がします。セザンヌは絵画としての美しさの探求のために田舎へ引きこもったように思えます。
私もお上りさんをして、パリで芸術の英気を沢山吸っていい絵を描くぞといきごんで行きましたが、思ったほど絵になる風景に出会えませんでした。「発見こそ芸術」とするなら、発見する物はようような人々の思惑の断片でした。トイレが無いパリ、カフェの役割。地下鉄に乗る人々。スクーターに乗る人々。展覧会会場。国立芸術学校。レアールの映画の試写会。今のパリの最先端の芸術は「日本のアニメ」です。スタジオジブリの作品です。国立芸術学校の展覧会会場で催されているのが宮崎駿展でした。レアールで先行試写会に行列をなしていたのは「イノセンス」という作品です。モナリザの前で黒山の人だかりは中国人です。
町の画廊の展覧会には誰一人お客さんは入っていないで作家がぽつんと座っているだけ。私が参加した展覧会会場は「シテデザール」というパリでも由緒ある場所なのですが、今回の主催団体のNACは日本人の芸術家の集まり。「シテデザールの出品者の質の低下のために、NACでも会場を借りれたのでは?」という噂さえ耳にしました。オリオンさんの画廊にビデオ装置を充実させるという方向は最先端の芸術を追いかける方向として間違っていない事を確認出来ました。

  
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