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戸塚パルソ通信@メール 第16・17・18号

戸塚宿を行く

vol.007

八坂神社とお札まき

戸塚の夏の一大イベントと言えば、「八坂神社のお札まき」を思い起こす方も多いのではないでしょうか。

戸塚駅から八坂神社まで、交通規制が掛かるほどの人・人・人で大混雑します。横浜市の無形民俗文化財にも指定されている「八坂神社のお札まき」と、八坂神社を探ります。

○八坂神社の起こり

「八坂神社」という名前は比較的新しく、境内に建立された由来によれば、戸塚の八坂神社が、現在の名前になったのは昭和7年(西暦1932年)。元々は戦国時代まっただ中の元亀三年(西暦1572年)に内田兵庫が造立した牛頭天王社で、明治元年(西暦1868年)に八坂社と改称されたとのこと。八坂神社の元締めともいえる、京都・祇園の八坂神社が、旧名の感神院(別名・祇園社)から八坂神社に改称したのも同じ1868年なので、かなり緊密な連携がはかられていたことが推測できます。

境内の由来によれば、造立後しばらくして荒廃していた牛頭天王社を、元禄になって、造立者の子孫、内田左衛門尉が復興したとあります。実は元禄十二年(西暦1699年)ころ、江戸で「古呂利」という病が流行ったと、江戸時代の医師・浅田宗伯が書き残しています。牛頭天王は元々疫病除けの神様であったこと、「お札まき」のお囃子のセリフの中に「ころりも逃げる」とあることなどを考えると、江戸で猛威を振るった奇病の流入を避けるために牛頭天王社を再建したのかもしれません。

ちなみに「古呂利」とは、「ころりと倒れて死んでしまう」ことから名付けられた、突発性の病気の総称です。伝染病というよりも、心筋梗塞などをほうふつとさせますが、流行したというのがよくわかりません。

なお、時代劇などの影響で、「ころり」が現在のコレラと混同されることがあります。実際、幕末で「ころり」といえばコレラのことなのですが、元禄時代には、コレラは日本には入っていなかったというのが定説です。

○お札まきと牛頭天王符

八坂神社境内の「横浜市指定無形民俗文化財」の看板によると、元々お札まきは、江戸や大阪で盛んに行われていたが、今では戸塚だけに残る、とあります。それについて、四天王寺のサイトにおもしろい記述がありました。

牛王宝印「魔除けの護符」の授与について

四天王寺には「どやどや」と呼ばれる祭礼があり、そこで牛王宝印という魔除けのお札が配られるのですが、かつては僧侶が柳の枝に挟んでまき散らしたというのです。その護符を拾おうと皆が「どやどや」と集まったことから「どやどや」と呼ばれる様になった、という様子は、戸塚のお札まきにそっくりではありませんか?

そして、四天王寺では昔は誰でも参加できた「どやどや」が、今では「特定の中学校・高校の生徒」だけが参加できる行事となり、護符は希望者に頒布する形態に変わっていると言います。おそらく、かつて江戸や上方で盛んに行われ、今では消滅したという「お札まき」は、これに準じる性格のものだったのでしょう。

なぜ、戸塚は「お札まき」を残すことが出来たのか。
なぜ、女装しているのか。などなど、「お札まき」にまつわる様々な謎は、次号で!

戸塚の夏の一大イベントと言えば、「八坂神社のお札まき」を思い起こす方も多いのではないでしょうか。

八坂神社のお札まきは、民俗学的には巫者(ふじゃ)・神人(じんにん)・願人(がんにん)と言われるものの系統に含まれるそうです。

○天王囃子の芸能化

巫者などは、神職が家々を回ってお札を授け、代わりにいくらかの金品を受け取って生活していたというのが始まりとされます。やがてお札だけではなかなか報酬をうけとることが出来なくなったのか、あるものはお経を読み(明治以前は神仏習合だった為)、あるものを曲芸をみせ、あるものは漫才や人形遣い、歌や踊りを行うようになり、芸能人化して行きます。

江戸時代、天保年間に大阪で活躍した戯作者西沢一鳳の「皇都午睡」に「天王囃子天満巫子」と称する一文があります。それには『天王様は囃すがお好き』という物言いで家々を回った芸人たちが、かつては江戸でも大阪でも非常に良く見られたのに、今ではすっかり見なくなった、と書かれています。

口上といい、お札を撒いて家々を回る姿といい、戸塚のお札まきと大きく共通します。 これが「丗年此の方見へずなりぬ」=30年以上も見なくなった、というのです。 文化年間(1800年代初頭)にはなくなっていたことになります。

○天王囃子は江戸時代のA○B?

わざわざ懐古するくらいですから、逆に、消滅前、少年であった一鳳に深く印象付けるような爆発的なブームであったことがわかります。
世代によって色々あると思いますが「子どもの頃はすごかったのに、今はなくなってしまった芸能」例えばグループサウンズやエレキブーム、アイドルグループやバンドブーム、そうしたものの流れの中に「天王囃子天満巫子」=お札まきも位置づけられるのかもしれません。

家々を回って報酬を受けとる、いわゆる「門付芸」としての天王囃子のブームは去りますが、路上で発展した様々な芸能は、演芸(色物)やお座敷芸として引き継がれてゆくことになります。
一方、天王囃子という名前自体は祇園社(牛頭天王社)の祭礼の名称として残ります。戸塚とは比較的近い、江ノ島にある八坂神社も7月14日(現在はその日に近い日曜日)に天王囃子という祭礼を行いますが、戸塚のお札まきとは似ても似つかない、豪壮な神輿渡御のお祭りになっています。

こう見ると、天王囃子は自然に衰退したのではなく、名前を捨てて屋内芸能になるか、内容を一新して名前を残すかの二者択一を迫られたように感じます。 そんな中、戸塚のお札まきは、郷土資料によると「職業的巫者の手を離れ、敬虔な氏子たちによって祭俗として残っていることは貴重である」と述べられています。 これらをふまえると、以下のような推測は成り立たないでしょうか。

お札まきの原型である天王囃子は、文化年間の直前、大ブームを起こしたが、それがあだとなって幕府に禁止される。お国歌舞伎の例のように、幕府がブームになった芸能を危険視して禁止することはよくあること。天王囃子を禁止された「職業的巫者」たちは、一方は芸能人として屋内芸能の道を歩み、一方は祭りの形態を変えることで存続の道を探る。ところが戸塚の場合、「職業的巫者」たちが身を引き、「俗人」である氏子の自主的な行事にした。また歌舞伎同様「巫女」を女装した男が行うことで、風紀の乱れを防ぐという建前に沿い、従来の形式のまま存続させることに成功した。

あくまでも、推測です。

次回は、「お札まき」の見所を紹介します

戸塚の夏の一大イベントと言えば、「八坂神社のお札まき」を思い起こす方も多いのではないでしょうか。

戸塚の駅前に交通規制もかかるほどのにぎわいを見せるお札まき。ご利益抜群と言われるお札を手に入れるには?

○「ありがたいお札」をゲットしたい!

「さずかったものは 病(やまい)を避ける コロリもにげる 」
とうたわれ、御利益抜群と言われる「正一位八坂神社護符」。
当然、ゲットしたいところですが、そう簡単に幸運は手に入りません。
短冊形の長さ10センチ、幅2.5センチほどのお札は、自由に宙を舞い、ハンパな運動神経では追いつきません。
落ちて来た、と思って手を延ばせば、それだけで風の流れが変わって、お札は方向転換してしまいます。一人だけならまだしも、何十人もが一斉に手を伸ばす訳ですから、その動きはまさに変幻自在です。

お札が欲しいと、どうしてもお札を撒く音頭取りの方の周りに近寄りがちですが、お札は意外な距離を飛んでゆき、遠巻きにしていた見物人の上にはらりと落ちることも。
必死でつかみ取ろうとする人が一枚も手に入らず、思わぬところで楽に手に入る人がいることを見ていると、「神様の思し召し」というものを感じてしまったりします。
筆者も、頭上にお札が飛んで来て「これは御利益!」と喜んだのもつかの間、なんとお札は、沿道のガレージの屋根に張り付いて落ちてこない!なんてことがありました。
八坂の神様に気に入っていただくには、まだまだ修行が足りないと言うことなのでしょうか。

お札まきは、夕刻に八坂神社境内から始まります。
こちらではお札を求める参拝客だけでなく、マスコミの取材も来たりして、かなりな込み具合になり、お札を手に入れるのは至難の業。
その後、戸塚駅方面へ巡礼してゆきますが、こちらは昼間から縁日の屋台が出て、数万人といわれる人がすでに待機しています。
縁日のお菓子やオモチャ目的の子どもたちも「オカマだー」(失礼)と大はしゃぎでお札争奪戦に参加してきますから、競争率はさらに跳ね上がります。

人ごみに疲れ、屋台の飲食に誘惑されても、ここで脱落してはいけません。
お札まきの一行は、駅前から戻って来ると、新国道一号線方面の氏子区域に向かいます。比較的静かなそちらならば、競争率がグンと下がり、お札をゲットできる可能性が高まるでしょう。
ただし、交通規制などがないため、自動車もバイクも普通に走ります。小さいお子さんと一緒に回られる場合は、事故に十分注意してください。

ちなみに、お札まきの当日、本殿にお参りしてお賽銭を納めると、お札を一枚手渡してくれます。 そちらの方をありがたくいただくという方法もありますので、決して無理はなさらないようにしてください。 お囃子でも「天王様はケンカも嫌い」とうたわれていますからね。

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