戸塚パルソ通信@メール 第25号
戸塚宿を行く
vol.010-01
旧東海道を歩く1 境木地蔵〜赤関橋
「戸塚宿を行く」・今回からは戸塚区内の旧東海道を歩きます。
戸塚区の旧東海道(下り)は「境木」から始まりますが、まずは保土ヶ谷の権太坂上から境木地蔵を目ざします。
最初に出会った史跡が【投込塚跡】。
再開発時に大量の白骨が発見されたという曰く付きの場所です。難所である権太坂で行き倒れた旅人を埋葬した塚だといいます。
旧東海道有数の難所といわれる戸塚。その旅は甘くないことをいきなり実感させられます。
投込塚跡を過ぎて坂を上りきると、視界がいきなり開けます。「境木立場」です。
権太坂と焼餅坂の頂点にあたるこの場所は、厳しい坂を上りきった旅人が、疲れた足を休め、同時に遠く富士を見渡す絶景を堪能した場所でした。
湯茶を提供する店が何軒も立ち並び、大いに賑わいました。
その境木立場の繁栄を見守ったといわれるのが「境木地蔵」。
腰越海岸に打ち上げられたお地蔵様が縁あってこの地に鎮座したといういわれがあります。
この地点は武相国境(武蔵と相模の国境)。江戸からの旅人は、境木を超えれば相模の国に入ります。
相模に入ると焼餅坂。焼餅を売る茶店が多かったということ。境木の茶店が、立場に入りきらずに溢れかえっていたのでしょうか。
緩やかにカーブを描く旧東海道を進むと、神奈川県指定の史跡「品濃一里塚」が現れます。
街道の両側に設置されたという一里塚。江戸時代の形状をほぼ保っている貴重な場所です。平戸側は私有地のため外から眺めるだけですが、品濃側は公園として整備されています。 一里塚の目印となる大木は、江戸時代は榎だったそうです。
更に進むと東戸塚の高層マンション群が現れます。
と、ビル群の前に御堂がみえます。
お邪魔すると、「福寿観音」。
由緒書きには、東戸塚駅の誘致・開業に尽力した人物が、遂に願いかなって東戸塚駅が開業したことを観音様に感謝して開基したとあります。
東戸塚の今の発展を眺める観音様、そして願主の想いはいかばかりでしょうか。
そこを過ぎると果樹林が開け、
標識に従って下るのが、「品濃坂」。
案内標識があるのですが、
どう見ても「階段」。その先が「陸橋」。
階段国道というのもありますが、品濃坂は「階段東海道」というところです。
今は環状2号線が走るあたりは切り通しになっていたのでしょうか。
陸橋を渡ると、やや緩やかになった品濃坂。
道なりに進み
品濃口から東戸塚を振り返ります。
この辺りから橋が目立ち始めます。(海道橋)
ひとまず、今回の目的地、「赤関橋」に到着。
「国道1号線」と合流します。道が一気に広くなります。
しかしまだまだ戸塚宿は遠い。
次回は戸塚宿の入口である、「江戸見附」まで歩きます。
○今回辿ったルート