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ゾ   ラ       セザンヌ と ゾラ     セザンヌ と ゾラ の 絶交


セザンヌ と ゾラ の 絶交


ゾラ
子供の頃からの長い友情は終わり、ゾラとセザンヌは絶交状態となったとされています。なぜゾラとセザンヌが長年の友情を捨て絶交したのか?それは本当のことだったのか?これには以下の諸説があります。

a)サロンにセザンヌが友人に頼んで入選したことにゾラが腹を立てたという説

「美の巨人たち」及びTAYCさんのご意見:
ゾラとセザンヌの絶交の原因は「サロン」に対する理解の仕方が、ゾラとセザンヌでは違っていた所にあると思います。ゾラは「サロン」を「パトロン」的存在と確固として意識していたと思います。一方、セザンヌは「サロン」を「発表の場」として考えていたのだと思います。大衆の「サロン」に対する注目度が非常に高かったため、セザンヌのように考えるのが当時では普通だったと思います。ですから、ゾラとセザンヌは「誤解したまま」絶交したのだと思います。誤解があるわけですから「志し」が同じでも絶交があり得るのだと思います。両者の「志し」が共にとても強かっただけにその「誤解」になかなか気がつかなかったのでしょう。

しかし、実のところセザンヌがサロンに父の肖像を友人に頼んで出したのは、長年田舎から仕送りしてくれている、名士である父を喜ばしたかったという理由でゾラもある程度理解していたと思われます。


画家の父

b)ゾラの「制作」という小説にセザンヌが激怒したという説

ゾラとセザンヌの絶交の原因となったゾラの小説「制作」のあらすじは以下です。
クロードという画家がサロンに出品しますが落選します。クロードはアルコール中毒
(悪性)の両親から生まれますが裕福な家庭に貰われていきます。(アル中の両親からは経済的に芸術家は育たないという理由付けになっています。)その絵は素晴らしいのですが、その時代には受け入れがたい、最後に大作に取り組み.絵の中の美女に真剣になり妻の理性を失わせます。その絵の中の女性はモローに代表される象徴主義に似たものでした。ゾラは象徴主義を嫌い、現代性を重んじていました(象徴主義は近代社会に対する反動であり科学を否定するものだ。印象派は色彩理論において科学性があるとゾラは考えています)。クロードは経済的にも困窮し妻の愛にも答えられず、自らの絵画スタイルに絶望して自殺してしまいます。ゾラの「制作」という小説にかかわり助言したのはセザンヌであるはずです。だから、この「制作」のために二人が絶交する理由が見当たらないのです。しかし、ここで一つ引っかかるのはクロードの妻の生い立ち、容貌がゾラの愛人となったジャンヌそっくりであるということです。

c)事件の裏に女あり説

いろいろな本にセザンヌが40歳代に恋をした女性がいる、だが、決してこれが誰だったのか生涯口にしなかったとある。以下の手紙が残っています。訳は私なりに書いてみました。

前略

あなたにあったとき、あなたは私に接吻を許してれました。あれから私の心は揺れ動いています。激しい心の動揺に耐え切れず手紙を書く私をお許しください。失礼とお思いなるかもしれません。しかし、この思いを伝えたいのです。この苦しい思いを心に秘めて生きてはいけません。この気持ちをあなたに知っていただくことで救われる気がします。突然このようなお手紙をお出しして申し訳なく思います。あなたへの気持ちがどうしてもそうさせてしまうのです...



セザンヌ夫人
この女性は、ゾラの奥さん(元モデル。昔からセザンヌと交流がありました)という説とゾラの奥さんアレキサンドリーヌの雇った悲惨な過去を持つ若い女性ジャンヌという説が有力です。ジャンヌは後にゾラと2児をもうけています。ジャンヌがゾラと恋仲に陥ったのは48才のころ。セザンヌと絶交したのは46才とされています。1898年つまり10年前の1888年にゾラは21歳のジャンヌと初めて結ばれたと言う手紙を残しています。つじつまが合わないようですが、ゾラとセザンヌの手紙の数、内容から1884年ジャンヌ17歳の時にゾラと関係があったことが推測できます。また人の子供の手前もあり1884年からの手紙は処分されている可能性も高い。17歳の女性と関係を持つことはゾラとしても隠したかったと思われます。
子供の頃からの親友と女性問題で絶交するセザンヌの気持ち。恋焦がれ親密になっていた女性が親友の愛人になっていると知る。しかし、まだその人が自分のことを愛しているという一人よがりの思いが存続しつづける。未練を断ち切きるため、裏切られたという心の傷をふさぐため、元の愛人と結婚。「親友にあうと当時を思い出して、自分の心が傷つくので会わないことにする。」というようなことではないでしょうか?長い友情を切り捨てるまでの決断。それはセザンヌとジャンヌが恋人関係、男女の関係くらいになっていないと考えられない。つまり、心が通い合い、相手が自分を愛してくれたと感じていないと、そこまではできないと感じます。去っていった愛は忘れがたく。「なんで?あんなに愛してくれたのに?」と残された恋人の心は過去に縛り付けられると思うのです。恋は妨げるものがあればあるほど燃えるといいますし、また相手が自分を捨てて去っていく場合ほど未練が残るといいます。それで結婚し、田舎に引っ込み、絵だけに取り組んだ。ゾラの「制作」に対するそっけない返事は、ゾラに対する怒り、嫉妬を隠したもの或いは、すねて当分君とは会わないよというヒステリカルなもののどれかではないかと思います。因にセザンヌの「制作」に対する感想は「親愛なるエミール。君の送ってくれた『制作』を受け取った。この思い出のよき証に対し、ぼくは『ルーゴンマッカール』の著者に感謝するとともに、往時を忍んで握手を送りたい。流れ去った日々の熱い思いを込めて。敬具。」これは「制作」の中の女性とゾラ、セザンヌを意識したものではないでしょうか。しかし、この絶交状態は本当に長く続いたのか?女性には申し訳ないですが、そういうことで男の友情が一時途絶えても、度々セザンヌがパリを訪れている事から青春時代から培われた友情は元に戻ったのではないかという推測もなされています。

ジャンヌ

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